「哲学するとは、死ぬことを学ぶことである」
モンテーニュ近代
モンテーニュが『エセー』の章題に掲げ、キケロの言葉として引いた古代以来の格言。
この言葉について
さらに深く
【出典】
この言葉は、16世紀フランスの思想家モンテーニュ(1533〜1592)の『エセー』第1巻第20章の章題「Que philosopher c'est apprendre à mourir(哲学することは死ぬことを学ぶことである)」である。本文の書き出しで、モンテーニュは、キケロは哲学するとは死への準備にほかならないと言う、と自ら出どころを示す。そのキケロは『トゥスクルム荘対談集』第1巻で、哲学者の生涯はすべて死の練習であると書き、魂を身体から引き離すことこそ死ぬことを学ぶことだと述べた。さらにさかのぼると、プラトンの『パイドン』で、ソクラテスが、正しく哲学する者は死ぬことを練習していると語っている。『エセー』の初版は1580年で、この時点では第1巻と第2巻だけが書かれていた。
【よくある誤解】
この章題をモンテーニュの一生の結論として引くと、彼の考えの動きを見落とす。初版の後に書かれた第3巻の第12章で、彼はキケロの、哲学者の生涯はすべて死の練習である、というラテン語をもう一度引いたうえで、死は確かに生の終わり(bout)だが、目的(but)ではないと退ける。生はそれ自身を目当てとし、自分を律し、導き、耐えることがその本来の務めだという。同じ章では、死に方を知らなくても気にするな、そのときが来れば自然がその場で十分に教えてくれる、とまで書き、われわれは死の心配で生をかき乱し、生の心配で死をかき乱していると述べた。死を思い詰めることから、よく生きることへと重心を移したのである。
【この言葉のその後】
モンテーニュの死生観は、のちに厳しい批判も受けた。パスカルは『パンセ』で、モンテーニュの多少放埒で享楽的な考えは人生のある場面では許せても、死についてのまったく異教的な考えは許せないと書き、少なくともキリスト教徒として死のうと望まないなら一切の敬虔を捨てねばならないのに、彼は本全体を通じて卑怯に、柔弱に死ぬことしか考えていない、と断じた。一方、実存主義の系譜をたどる議論では、実存的な態度の早い現れの一つとして、『エセー』における死と人生の意味についての内省が挙げられる。古代の格言は、モンテーニュを経て、信仰の側からも実存の側からも読み直される言葉になった。
この言葉を残した人物
「死」の名言
「死への存在」
ハイデガーが『存在と時間』で、人間の存在のあり方を死との関わりからとらえた概念。
「死はわれわれにとって何ものでもない」
エピクロスが『メノイケウス宛の手紙』などで、死を恐れる理由はないと説いた言葉。
「すべてはたちまち色あせ、物語となる」
マルクス・アウレリウスが『自省録』第4巻で、名声のはかなさを見つめて書いた一節。
「あたかも今日が最後の日であるかのように生きよ」
マルクス・アウレリウスが『自省録』で、毎日を最後の日のように過ごせと自らに課した言葉。
「生死の中に仏あれば、生死なし」
道元が『正法眼蔵』「生死」巻に、中国の禅僧夾山と定山の問答の句を組み替えて記した言葉。
「人生は短くはない、我々がそれを短くしているのだ」
セネカが『人生の短さについて』で、人生が短いのは人が浪費するからだと説いた言葉。