『パイドン』
古代
魂の不死とイデア論を論じたプラトンの対話篇
この著作について
ソクラテスが毒杯を仰ぐその日の獄中を舞台にした、プラトンの代表的対話篇。死を前にしてなお穏やかに哲学し続ける師の姿そのものが、一つの論証になっている。
【内容】
弟子たちが集まった牢獄で、ソクラテスは魂は死後も存続すると語り出す。中心にあるのは、魂が不滅だと言える根拠を四つの角度から示す議論である。正反対のものは互いから生じるという原理、人は学ぶ前から知っていたものを想起しているという説、目に見えない魂は身体と違って分解されないという類比、そして永遠のイデアにあずかる魂の本性。議論の背景でイデア論が展開され、最後はソクラテスが静かに毒杯を受ける場面で閉じる。
【影響と意義】
霊魂の不滅をめぐる哲学的議論の原型を作り、キリスト教神学の魂観やデカルトの心身二元論にまで流れ込んだ。魂と身体、精神と物質といった西洋哲学の二元的な見方は、ここで古典的な形を得た。
【なぜ今読むか】
「哲学とは死の練習である」というソクラテスの言葉が、議論の中身と最期の振る舞いの両方で体現される。死を直視する知のあり方を、物語として味わえる。
どの訳で読むか
訳注と文献表に加え、訳者解説と篠澤和久の解説の二つが入った文庫なら、2025年に改版された岩波文庫の岩田訳が目安になる。訳者まえがきと年譜のついた文庫なら、光文社古典新訳文庫の納富訳がある。裁判から死までを描く3篇を続けて読むなら新潮文庫の田中・池田訳、『饗宴』と1冊で読むなら西洋古典叢書の朴訳が合う。
岩田靖夫訳岩波書店・岩波文庫、1998年(2025年改版)
Amazonで探す1998年に岩波文庫で出た訳で、副題は「魂の不死について」。2025年9月に改版され、版元の紹介によれば文字を大きくし、新しい解説を加えた。目次は対話を序曲から終曲までの節に分け、それぞれに原典の箇所を添える。巻末に訳注、訳者解説、文献表、訳者あとがき、篠澤和久の解説、索引を収める。電子書籍もある。
納富信留訳光文社・光文社古典新訳文庫、2019年
Amazonで探す副題は「魂について」。本文の前に訳者まえがきを置き、後ろに解説、年譜、訳者あとがきを収める。電子書籍もある。
田中美知太郎・池田美恵訳新潮社・新潮文庫、1968年(2005年改版)
Amazonで探す書名は「ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン」。版元の紹介によれば、法廷での弁明、脱獄のすすめを退ける対話、毒をあおって刑死する最期を語る本篇の3篇を収める。国立国会図書館の書誌では2005年の59刷で改版された。電子書籍もある。
朴一功訳京都大学学術出版会・西洋古典叢書、2007年
Amazonで探す書名は「饗宴/パイドン」で、同じプラトンの『饗宴』と1冊にまとめた上製本(486頁)。補註、解説、地図、索引がつく。
ほかに、岩波書店のプラトン全集第1巻(1975年)にもパイドンが入っているが、版元では品切れと表示されている(2026年10月時点)。
さらに深く
【内容のあらまし】
ペロポネソスの町プレイウスで、エケクラテスがパイドンに尋ねる。あの日、獄中にいたのか。判決から処刑までが長く空いたのは、アテナイがデロス島へ送る聖なる船の船尾に、裁判の前日に花冠がかけられたからだ。
船が帰った翌朝、仲間たちは早めに牢へ集まる。鎖を解かれたばかりのソクラテスは、子を抱いて叫ぶクサンティッペを家へ帰らせ、脚をさすりながら語り出す。快と苦は胴が二つで頭が一つだ、イソップなら寓話にしただろう、と。獄中でイソップを韻文にしているわけを問われると、音楽をせよと告げる夢を何度も見たからだと明かし、詩人エウエノスには、賢いならすぐ後を追えと伝えよと言う。ただし自ら命を絶つことは許されない。人間は神々の持ち物だからだ。
死を恐れない理由の弁明が始まり、本物の哲学者は死ぬことの練習をしているという言葉も出る。ケベスが、魂は身体を出たとたん煙のように散るのではと疑い、証明が三つ重ねられる。長い沈黙のあと、白鳥は死を前に悲しくて歌うのではなく、アポロンのもとへ行くのを喜んで歌うのだと言って、ソクラテスは若い二人に問えと促す。シミアスは魂を竪琴の調和にたとえ、琴が壊れれば調和も消えると言う。ケベスは、何枚も外套を織って着つぶした機織りも最後の一枚よりは先に死ぬとして、魂が身体より長持ちでも不滅とはかぎらないと突く。
語りはプレイウスに戻る。ソクラテスはパイドンの髪をなで、明日この美しい髪を切るのだろうと言う。だが切るなら今日だ、この議論が死んで生き返らせられないなら、と続け、人間を信じすぎた者が人間嫌いになるように、議論嫌いにだけはなるなと戒める。調和説は想起説と両立しないと退け、ケベスの異議には若いころの遍歴で答える。知性が万物を秩序づけると説くアナクサゴラスの本に飛びついたが、原因として挙げられるのは空気やアイテールや水ばかりだった。自分がここに座っているのは骨と筋肉のせいではなく、アテナイ人が有罪とし、自分も留まって刑を受けるほうがよいと考えたからだ。こうして「第二の航海」に乗り出し、美そのものがあると仮定する道から、三が偶数を受け入れないように魂は死を受け入れない、という最後の証明に至る。
締めくくりは死後の神話で、私たちは大地のくぼみに、沼のまわりの蟻や蛙のように住んでいるという。断言はしないが、信じてみる冒険は美しい。そう言って彼は、死後に女たちが遺体を洗う手間を省くため沐浴に立つ。日はまだ山の上にあると引き止めるクリトンを制して杯を飲み干し、泣き叫ぶ仲間を叱り、横たわる。最後の言葉は、クリトン、アスクレピオスに雄鶏を一羽借りている、忘れずに返してくれ、だった。
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