「すべてはたちまち色あせ、物語となる」
アウレリウス古代
マルクス・アウレリウスが『自省録』第4巻で、名声のはかなさを見つめて書いた一節。
この言葉について
かつて讃えられた人の名も時がたてばたちまち色あせ、昔話になってしまうという、名声のはかなさを見すえたストアの言葉。
【背景】
ローマ皇帝マルクス・アウレリウスが、自分のための覚え書きである『自省録』の第4巻に記した一節。名高い先人たちの名もすでに古びつつあることを見つめ、名声のはかなさを自分に言い聞かせている。
【解釈】
名声も記憶も、いずれは忘却に覆われる。だからこそ、人の評判ではなく、いま自分が何を思い、どう行うかに力を注ぐべきだという戒めになる。過ぎ去ることの自覚は、あきらめではなく、何を大切にするかを選び直すきっかけである。
【現代への示唆】
評価や注目の数に心を奪われやすい時代に、何が残り何が残らないかを見分ける目を与えてくれる。
さらに深く
【出典】
この言葉は、マルクス・アウレリウスの『自省録』第4巻33節にある一文を、原文に沿って訳したものである。マルクスはそこで、昔なじみだった言葉が今では古語になったように、かつて名高かった人々の名も古びたと述べ、カミルス、カエソ、ウォレススといった昔の人から、ハドリアヌスとアントニヌスまでを挙げる。そして「ἐξίτηλα γὰρ πάντα καὶ μυθώδη ταχὺ γίνεται(エクシテーラ・ガル・パンタ・カイ・ミュートーデー・タキュ・ギネタイ)」と書き、まもなく完全な忘却がそれを覆うと続けた。英訳でも、すべてはすぐ過ぎ去り、ただの昔話となる、と訳されており、前半だけを取り出した「すべては過ぎ去る」という形でも知られる。同じ巻の43節では、時を出来事の川、激しい流れにたとえ、何かが見えたとたんに運び去られ、別のものが来ると記している。
【よくある誤解】
「すべては過ぎ去る」と縮めて、つらい時期の慰めとしてだけ読むと、33節の文脈を見落とす。マルクスは、輝かしく名を残した人でさえすぐ忘れられ、それ以外の人は息を引き取るとすぐ消え、誰にも語られなくなると述べる。そして永遠の記憶とは何かと問うて、まったくの空しさだと言い切る。そのうえで、真剣に取り組むべきものは一つ、正しい思い、社会のための行い、偽りのない言葉、起こることすべてを必然として喜んで受け入れる心だと結ぶ。苦痛については別に第7巻64節で、エピクロスの言葉を借りて、苦痛は耐えられないものでも永遠に続くものでもないと書いている。
【この言葉のその後】
苦境で唱えられる「これもまた過ぎ去る(And this, too, shall pass away)」という英語の言い回しは、マルクスとは別の系統で知られるようになった。1859年9月30日、翌年に大統領に選ばれるリンカーンは、ウィスコンシン州農業協会での演説で、ある東方の王が、いつどんな場面にも真実で適切な一文を賢者たちに求め、彼らがこの言葉を差し出したという話を紹介した。リンカーンは、得意の時には戒めとなり、苦難の底では慰めとなると語ったうえで、それが全くの真実でないことを望もうとも述べている。マルクスの文は名声の空しさから徳への集中を導く言葉で、リンカーンが紹介した王の銘とは出どころも狙いも異なる。
この言葉を残した人物
アウレリウスのほかの名言
「死」の名言
「生死の中に仏あれば、生死なし」
道元が『正法眼蔵』「生死」巻に、中国の禅僧夾山と定山の問答の句を組み替えて記した言葉。
「人生は短くはない、我々がそれを短くしているのだ」
セネカが『人生の短さについて』で、人生が短いのは人が浪費するからだと説いた言葉。
「死に至る病、それは絶望である」
キルケゴールが偽名アンチ・クリマクスの名で出した『死に至る病』で、絶望をこう呼んだ言葉。
「哲学するとは、死ぬことを学ぶことである」
モンテーニュが『エセー』の章題に掲げ、キケロの言葉として引いた古代以来の格言。
「死への存在」
ハイデガーが『存在と時間』で、人間の存在のあり方を死との関わりからとらえた概念。
「死はわれわれにとって何ものでもない」
エピクロスが『メノイケウス宛の手紙』などで、死を恐れる理由はないと説いた言葉。