「無功徳」
達磨古代
梁の武帝に功徳を問われた達磨が答えたと禅宗の伝承が伝える言葉で、『景徳伝灯録』などに見える。
この言葉について
善行がもたらす見返りと、本当の功徳とは別物だと示した、達磨の答えとして伝わる言葉。
【背景】
梁の武帝と達磨の会見を語る、禅宗の伝承の中の答えである。仏教のために多くの事業を行ってきた武帝が、その功徳を尋ねたのに対し、達磨はこう答えたとされる。問答はこのあと、いくつかのやりとりを経て、聖なる真理の最高の意義を問う問いへと進んでいく。
【解釈】
自分の積んだ善行を数え上げ、その見返りを尋ねる武帝の問い方そのものが、答えの的になっている。見返りを数える心が残る限り、行いは取引に近づく。行いをなした自分へのこだわりが消えたところにこそ功徳がある、と読むことができる。
【現代への示唆】
承認や評価、SNSでの反応を求めて行う善意が、何を見失っているのかを問い直すきっかけになる。報酬を計算する自分から離れた行いの意味を、三文字で突きつける言葉である。
さらに深く
【出典】
達磨と梁の武帝の問答は、達磨本人の著作ではなく、後世の禅宗に伝わる逸話である。この会見は、慧能の弟子の神会の著作の付録に、758年ころ初めて記録された。よく知られた形は『景徳伝灯録』巻第三にある。武帝が、即位以来、寺を造り経を写し、人を出家させて僧にしたことは数え切れない、どんな功徳があるか、と問うと、達磨は「並無功德」(まったく功徳は無い)と答える。理由を問われると、それは人間界や天上界に生まれる小さな果報、煩悩の残る原因にすぎず、影が形に従うように、あるにはあるが真実のものではない、と言う。では真の功徳とは何かと重ねて問われ、清らかな智慧は妙にして円かで、その本体はおのずから空寂である、そのような功徳は世間のやり方では求められない、と答える。
【よくある誤解】
「無功徳」は、善行は無意味だ、寺を建てても無駄だ、という意味ではない。『景徳伝灯録』の達磨は、造寺や写経が人間界や天上界の小さな果報を生むこと自体は認めたうえで、それを真の功徳と呼ぶことを退けている。報いがあるかないかではなく、報いの種類を分けているのである。また、この問答を史実として語るのも難しい。7世紀の道宣による高僧の伝記集は、達磨は宋の時代に南越に着き、そこから北へ転じて魏に至ったと記すだけで、梁の武帝との会見には触れない。会見があったとされる520年代から二百年以上のちに、神会の周辺で初めて文字になった話であり、後世の禅宗の伝承として扱うのが適切である。
【この言葉のその後】
この問答は、のちの禅の書物で繰り返し取り上げられた。『六祖壇経』では、韋刺史(地方長官の韋公)が、達磨が武帝に功徳は無いと言ったのはどういう道理かと慧能に尋ねる。慧能は、本当に功徳は無いのだと答え、寺を造り僧を出家させ布施や斎会を設けるのは福を求めることであって、福をそのまま功徳としてはならない、功徳は法身(仏としての本来の身)の中にあって、福を修めることにあるのではない、と説く。1125年に宋で編まれた公案集でも、この集を今の形にまとめた禅僧の圜悟克勤が第一則の評唱で、武帝が寺を建て僧を出家させた功徳を問い、達磨が無功徳と答えた話を引き、この無功徳の話を透過できたなら達磨にじかに会ったと認めよう、と述べている。
この言葉を残した人物
達磨のほかの名言
「哲学」の名言
「本来無一物」
『六祖壇経』の通行本が慧能の偈の一句として伝える、もとより一物も無いと詠む禅の言葉。
「万物は数である」
アリストテレスが『形而上学』で伝えたピタゴラス派の学説を、ピタゴラスの言葉として要約した句。
「存在は本質に先立つ」
サルトルが1945年の講演「実存主義はヒューマニズムである」で掲げた、実存主義の中心命題。
「色即是空」
『般若心経』で観自在菩薩が舎利子に説く、形あるものはそのまま空であるという一節。
「無知の知」
プラトン『ソクラテスの弁明』で、ソクラテスが知らないことを知っているとは思わないと語った箇所の要約。
「人間は万物の尺度である」
ソフィストのプロタゴラスの著作に由来し、プラトン『テアイテトス』の引用などで伝わる、人間を万物の尺度とする断片。