「色即是空」
『般若心経』で観自在菩薩が舎利子に説く、形あるものはそのまま空であるという一節。
この言葉について
形あるものはそのままで空であると説く、『般若心経』の中心をなす一句。
【背景】
『般若心経』の中で、観自在菩薩が舎利子に向かって説く言葉の一部である。空は、般若経が強調した、大乗仏教の基盤となる思想である。ここでいう「色」は形ある物質的なもの、「空」は固定した実体が無いことを指す。
【解釈】
すべてのものは他のものとの関係によって成り立っており、それ自体で独立した実体は持たない。ただし空は「何も無い」という意味ではない。実体が無いからこそ、ものは関係の中で形をとって現れる、という見方を含んでいる。
【現代への示唆】
物や地位、自分の役割を動かないものと思い込むと、それを失う不安に縛られる。すべては変化し関係し合っているという視点は、執着を少しゆるめる手がかりになる。
さらに深く
【出典】
『般若心経』の一節である。観自在菩薩が深い智慧の行の中で五蘊(色・受・想・行・識の五つの集まり)がすべて空であると見抜き、舎利子(シャーリプトラ)に向かって「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」(色は空と異ならず、空は色と異ならず、色はすなわち空であり、空はすなわち色である)と説く。受・想・行・識についても同じだと続く。この空の思想を哲学的に基礎づけたのが、150年から250年ころのインド大乗仏教の哲学者、龍樹(ナーガールジュナ)である。主著『中論』には「衆因縁生法、我説即是無」(多くの因縁から生じたものを、私はすなわち無であると説く)という偈があり、続けて、因縁から生じないものは無いので空でないものも無いと述べる。
【よくある誤解】
「色」は日常語の色彩や色恋のことではなく、五蘊の第一にあたる物質的な要素を指す。国語辞典も、物質的な存在はその真のあり方において空であり、執着されるべき何ものもない、という意味としている。経文は前半で色が空だと言ったすぐあとに、後半で空がそのまま色だと言い直す。ある百科事典は、この後半を、執着のない目で見たとき、あらゆるものがそれぞれの働きをもって生き生きと現れ存在していることを肯定的に表すものと説明する。実体が無いと観察するうちに虚無主義に陥るおそれがあるので、空即是色と続けてそれを避けている、とみる百科事典もある。
【この言葉のその後】
『般若心経』は東アジアの仏教で最もよく読誦され、書き写され、研究されてきた経典である。漢訳は鳩摩羅什訳など7種あるが、日本で読経に広く用いられるのは、この句を含む玄奘訳だ。中国と日本では多くの宗派で日課の経として唱えられ、玄奘の門下の慈恩や空海が注釈を書いた。空海の注釈は日本で最初の『般若心経』の注釈書で、密教の立場から読み解いている。写経も盛んで、日本では奈良時代から今日まで多くの人が続けてきた。国語辞典は、984年から985年に成った書物の中で色即是空の語を用いた一文を、日本語での初出の例として挙げる。龍樹が基礎づけた空の思想そのものも、のちの仏教思想の展開に大きな影響を与えた。
この言葉が出てくる本
「哲学」の名言
「無知の知」
プラトン『ソクラテスの弁明』で、ソクラテスが知らないことを知っているとは思わないと語った箇所の要約。
「人間は万物の尺度である」
ソフィストのプロタゴラスの著作に由来し、プラトン『テアイテトス』の引用などで伝わる、人間を万物の尺度とする断片。
「無功徳」
梁の武帝に功徳を問われた達磨が答えたと禅宗の伝承が伝える言葉で、『景徳伝灯録』などに見える。
「本来無一物」
『六祖壇経』の通行本が慧能の偈の一句として伝える、もとより一物も無いと詠む禅の言葉。
「廓然無聖」
仏教の最高の真理を問う梁の武帝に、達磨が答えたと禅宗の伝承が伝える言葉で、禅の公案の一つ。
「万物は数である」
アリストテレスが『形而上学』で伝えたピタゴラス派の学説を、ピタゴラスの言葉として要約した句。