「人間は万物の尺度である」
プロタゴラス古代
ソフィストのプロタゴラスの著作に由来し、プラトン『テアイテトス』の引用などで伝わる、人間を万物の尺度とする断片。
この言葉について
物事があるかないかを測る基準を人間の側に置いた、古代ギリシアのソフィスト、プロタゴラスの言葉。
【背景】
プロタゴラスは前490年代の生まれとみられ、ギリシア各地を巡って教えた最初期のソフィストの一人である。この言葉は、彼の著作の冒頭にあったと伝えられる。
【解釈】
真理や善悪は、それを判断する人間との関係を離れては成り立たない、という相対主義の出発点として読まれることが多い。ただし、相対主義という枠を厳密に当てはめてもプロタゴラスの理解は深まらない、という疑問も出されており、多元主義として読む解釈もある。
【現代への示唆】
同じ出来事でも、立場や文化によって見え方は変わる。誰にとっての真実なのかを問うこの言葉は、意見の違いをどう扱うかという現代の課題を考える手がかりになる。
さらに深く
【出典】
プロタゴラス自身の著作に由来する断片である。著作はまとまった形では残っておらず、この文はプラトン『テアイテトス』152aなどの引用で伝わる。そこでは「πάντων χρημάτων μέτρον ἄνθρωπον εἶναι」(人間は万物の尺度である)に続けて、あるものについてはあるということの、ないものについてはないということの尺度だ、と言われる。どの書の言葉かについては揺れがある。古代の著述家セクストス・エンペイリコスはこの文を別の題の書に帰しているが、ほかの資料はこれを『真理』という書の言葉とする。
【よくある誤解】
この文を「人それぞれ」の標語として読む前に、確かめておくべき点が二つある。一つは「人間」の意味で、一人ひとりの個人を指すのか、人類一般を指すのかで解釈が分かれる。プラトンは個人の意味に取り、物事は私にはそう見えるとおりに私にとってあり、あなたにはそう見えるとおりにあなたにとってある、と言い換えた。同じ風が吹いても一人は寒く感じ、もう一人は感じないという有名な例も、プロタゴラス自身の言葉として残るものではなく、『テアイテトス』でソクラテスが説明のために持ち出したものである。もう一つは「万物」と訳される語クレーマタで、もとは「扱う」「使う」「関わりを持つ」という意味の動詞から来ている。ある哲学事典は、この語はもとの意味からすれば、物そのものを指すというより、人が関わりを持つ事柄を指すと説明する。
【この言葉のその後】
最も早い反論は、この説は自分自身を覆すという批判で、ギリシア語で「ひっくり返し」を意味するペリトロペーと呼ばれる。この批判はデモクリトスが最初に定式化し、プラトンがさらに発展させたとみられる。すべての判断が真だとすれば、この説を偽とする判断も真になってしまう、という論法である。『テアイテトス』のソクラテスは、プロタゴラスはなぜ『真理』の冒頭で、豚や犬の顔をしたヒヒのような、感覚を持つ別の生き物が万物の尺度だと言わなかったのか、と皮肉ってもいる。相対主義の問題は、現代の研究者の間でも大きな議論を呼んできた。
この言葉を残した人物
「哲学」の名言
「無功徳」
梁の武帝に功徳を問われた達磨が答えたと禅宗の伝承が伝える言葉で、『景徳伝灯録』などに見える。
「本来無一物」
『六祖壇経』の通行本が慧能の偈の一句として伝える、もとより一物も無いと詠む禅の言葉。
「廓然無聖」
仏教の最高の真理を問う梁の武帝に、達磨が答えたと禅宗の伝承が伝える言葉で、禅の公案の一つ。
「万物は数である」
アリストテレスが『形而上学』で伝えたピタゴラス派の学説を、ピタゴラスの言葉として要約した句。
「存在は本質に先立つ」
サルトルが1945年の講演「実存主義はヒューマニズムである」で掲げた、実存主義の中心命題。
「色即是空」
『般若心経』で観自在菩薩が舎利子に説く、形あるものはそのまま空であるという一節。