「本来無一物」
慧能古代
『六祖壇経』の通行本が慧能の偈の一句として伝える、もとより一物も無いと詠む禅の言葉。
この言葉について
もとより一物も無いのに、どこに塵がつくことがあろうか、と詠む禅の偈の一句。
【背景】
『六祖壇経』によれば、五祖弘忍が法を継ぐ者を選ぼうとしたとき、上座で教授師を務めていた神秀が、身は菩提樹、心は明鏡台のようなもので、常に努めて拭い清め、塵をつけてはならない、という偈を壁に書いた。この句は、これに応えて慧能が示した偈の一句とされる。ただしこれは同書が伝える話で、最古の写本では慧能の偈の後半が異なり、この句は見えない。
【解釈】
神秀の偈は、心を鏡にたとえ、そこに塵がつかないよう払い続けることを説く。慧能の偈は、菩提を樹に、心を鏡の台にたとえること自体を退ける。心の本性は、塵がつくかどうかを問う以前のところにある、という見方がこの一句にこめられている。
【現代への示唆】
自分を磨き続けなければという思いに追われるとき、そもそも何を磨こうとしているのかを問い直させる言葉である。足りない自分を前提にしない見方として、今も読む人を立ち止まらせる。
さらに深く
【出典】
『六祖壇経』(禅宗の第六祖とされる慧能の説法と生涯を伝える書)の、慧能が五祖弘忍の法を継ぐいきさつを語る段に出る。慧能自身が書いたものではなく、長い時間をかけて形を変えてきた伝承の中の一句である。通行本の『六祖壇経』が語る慧能は、字が読めないので神秀が壁に書いた偈を人に読んでもらい、自分の偈も江州の別駕という役人に書き取らせる。それが「菩提本無樹、明鏡亦非臺、本來無一物、何處惹塵埃」(菩提はもともと樹ではなく、明鏡もまた台ではない。もとより一物も無いのに、どこに塵埃がつこうか)である。ところが、830年から860年の間の写本が残る最古の敦煌本では、慧能の偈は二首あり、第一首の後半は「佛性常清淨、何處有塵埃」(仏性は常に清らかで、どこに塵埃があろうか)となっていて、本来無一物の句は無い。
【よくある誤解】
この句を、物を持たない暮らしの勧めや、どうせ何も無いのだから努力は要らないという意味に読むのは、元の文脈とずれる。問われているのは心の本性で、最古の敦煌本の慧能は、むしろ仏性は常に清らかだと肯定的に語っている。何も無いという否定の強い形は、後の版で前面に出たものである。また、神秀の偈を段階を追って悟りへ進む漸悟、慧能の偈を一挙に悟る頓悟とする対比も、そのまま事実としては受け取れない。この読み方は、神会の五代あとの継承者である圭峰宗密の解釈にもとづく伝統的なものだ。研究者ジョン・マクレーは、神秀の作とされる偈は実は段階的な努力ではなく、鏡を拭き続ける不断の修行を指していると論じている。この書そのものも、敦煌本の段階ですでに、いくつもの禅の集団の要素が合わさった長い変化の産物とみられている。
【この言葉のその後】
『六祖壇経』は伝わるうちに大きく姿を変えた。元の時代の1291年に宗宝が編んだ版が明代の大蔵経に入り、通行本となった。この系統の本は敦煌本よりおよそ三分の一長く、構成も違う。日本では、曹洞宗の開祖の道元が1231年から1253年にかけて説いた『正法眼蔵』の「古鏡」の巻でこの句を引いており、国語辞典はこれを日本語での初出の例とする。そこでは末尾が、通行本の惹ではなく、敦煌本の何處有塵埃と同じ有の字になっている。今日の国語辞典は、この語を、存在する物は本来すべて空であるから、わが物として執着すべきものは一つもない、という意味で載せ、一切のものから自由自在になった心境を表す言葉としている。
この言葉を残した人物
「哲学」の名言
「廓然無聖」
仏教の最高の真理を問う梁の武帝に、達磨が答えたと禅宗の伝承が伝える言葉で、禅の公案の一つ。
「万物は数である」
アリストテレスが『形而上学』で伝えたピタゴラス派の学説を、ピタゴラスの言葉として要約した句。
「存在は本質に先立つ」
サルトルが1945年の講演「実存主義はヒューマニズムである」で掲げた、実存主義の中心命題。
「色即是空」
『般若心経』で観自在菩薩が舎利子に説く、形あるものはそのまま空であるという一節。
「無知の知」
プラトン『ソクラテスの弁明』で、ソクラテスが知らないことを知っているとは思わないと語った箇所の要約。
「人間は万物の尺度である」
ソフィストのプロタゴラスの著作に由来し、プラトン『テアイテトス』の引用などで伝わる、人間を万物の尺度とする断片。