「知は力なり」
ベーコン近代
フランシス・ベーコンの言葉とされる格言で、本人の『聖なる瞑想』では近い句が神の知と力を論じる文脈に出てくる。
この言葉について
知識は単なる学問的好奇心の対象ではなく、自然を制御し社会を改善する実践的な力であるという近代科学の精神。
【背景】
一般にフランシス・ベーコン(1561〜1626年)の言葉として知られる。本人の著作では『聖なる瞑想』(1597年)に知そのものも力であるという句があるが、神を論じる文脈にあり、いま引かれるラテン語の定型は後に別の哲学者が書いた。それでも『ノヴム・オルガヌム』などで展開された経験主義の精神を端的に表している。
【解釈】
中世のスコラ哲学が知識を観照的なものとしたのに対し、ベーコンは知識を自然の法則を理解し活用するための道具と位置づけた。実験と観察に基づく帰納法が近代科学の方法論の基礎となった。
【現代への示唆】
知識を得ることの実践的な価値を教えてくれる。同時に、その力を何に向けるのかを問う姿勢も欠かせない。
さらに深く
【出典】
イングランドの哲学者で政治家のフランシス・ベーコンが1597年に出した『聖なる瞑想』の一編「異端について」に、ラテン語で nam et ipsa scientia potestas est(ナム・エト・イプサ・スキエンティア・ポテスタース・エスト)、なぜなら知そのものも力だからである、という句がある。ただしこれは長い文の途中の括弧書きで、論じられているのは人間の学問ではなく神である。神の知の範囲を神の力より広く取り、神はあることを予定せずにただ予知するとする考えを、異端として批判する文脈で、知もまた神の力の一部だと言っている。人間の知と力の結びつきは、1620年の『ノヴム・オルガヌム』第1巻アフォリズム3に、人間の知と力は一致する、原因を知らなければ結果は生み出せないからだ、とある。
【よくある誤解】
「知は力なり」を、知識をもつ者が他人を支配できる、情報は権力だ、という意味に取ると、ベーコン自身の文脈から離れる。『聖なる瞑想』の句は神の属性をめぐる神学の議論で、そこでベーコンが区別していたのは、知る力と、働きかけ行為する力である。『ノヴム・オルガヌム』の一文は、自然に対する人間の働きかけについての言葉で、同じアフォリズムは、自然は服従することによってしか征服されない、と続く。自然を動かしたければ、まず自然の法則に従い、その原因を知らなければならない、という意味である。さらに、観照的な哲学で原因にあたるものが、実地の学では規則になる、とも言う。文脈から切り離した読み方は、ベーコンの区別とは逆のことをこの句に言わせてしまう。
【この言葉のその後】
いまよく引かれるラテン語の定型 scientia potentia est(スキエンティア・ポテンティア・エスト)を、確認できる範囲で最初に書いたのは、イングランドの哲学者トマス・ホッブズである。若いころベーコンの秘書を務めたホッブズは、1668年に出した『リヴァイアサン』のラテン語版の第10章で、人間の力をなすものを並べる中で学問に触れ、学問は力ではあるが小さな力だと書いた。1651年の英語版でも、学問は小さな力である、目立つものではないので誰にも認められず、ごく少数の人にしか備わっていないからだ、と述べている。つまり定型の最初の用例は、知の力を誇るどころか、その力の小ささを指摘する文だった。ベーコンの句とホッブズの定型は別物だが、今日この言葉はふつうベーコンのものとして引かれている。
この言葉を残した人物
「知恵」の名言
「私の言語の限界が、私の世界の限界を意味する」
ウィトゲンシュタインが『論理哲学論考』の命題5.6で、言語の限界と世界の限界を重ねた言葉。
「人間は考える葦である」
パスカルが遺稿『パンセ』で、人間の弱さと思考による尊厳を一本の葦にたとえた言葉。
「ミネルヴァのフクロウは黄昏とともに飛び始める」
ヘーゲルが『法の哲学』の序文で、哲学は時代が成熟した後に遅れて現実を理解すると述べた比喩。
「道の道とすべきは、常の道にあらず」
老子の著とされる『老子』第1章冒頭の、語りうる道は恒常不変の道ではないと説く句。
「すべてを疑え」
デカルトが『哲学原理』で説いた、真理を求める者は生涯に一度すべてを疑えという原則を縮めた言葉。
「我思う、ゆえに我あり」
デカルトが『方法序説』第4部で、疑いえない哲学の第一原理として示した命題。