『聖なる瞑想』
せいなるめいそう
フランシス・ベーコン·近代
ベーコンが1597年に『随筆集』初版と合わせて出した、聖書の句から説き起こすラテン語の瞑想12編
この著作について
フランシス・ベーコンが1597年にラテン語で書いた、聖書の句をめぐる12編の瞑想。ベーコンが初めて世に出した本は、10編からなる『随筆集』の初版に、この瞑想などを合わせた一冊だった。
【内容】
各編はまず聖書の一句をラテン語で掲げ、そこから説き起こす。題には、神の業と人の業、救い主の奇跡、慈愛、偽善者、無神論、異端、教会と聖書などが並ぶ。「異端について」は、聖書も神の力も知らないから誤るのだ、という句で始まる。神の力を損なう異端には単なる無神論のほかに三つの段階があるとし、三つ目の、神の知の範囲を力の範囲より広く取り、神はあることを予定せずにただ予知するとする立場を退ける箇所に、括弧書きで、知そのものも力である、という句が出てくる。
【影響と意義】
この括弧書きは、ベーコンの著作の中で「知は力なり」に最も近い表現とされる。ただし論じられているのは人間の学問ではなく神の力であり、ベーコンはここで知る力と、働きかけ行為する力とを区別している。いまよく引かれるラテン語の定型を確認できる範囲で最初に書いたのは、若いころベーコンの秘書を務めたホッブズの、1668年の『リヴァイアサン』ラテン語版である。人間の知と力の一致は、のちの1620年の『ノヴム・オルガヌム』で説かれる。本書のラテン語本文には、翌1598年に英訳が出ている。
【なぜ今読むか】
格言を出どころまでたどると、言葉がもとの文脈を離れて流通する様子が見えてくる。のちに近代科学の方法を唱えるベーコンが、それに先立って聖書を手がかりに無神論や異端、偽善を論じていたことは、科学と信仰を単純に対立させる見方を考え直す手がかりにもなる。
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