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「死を想え」

セネカ古代

セネカの死生観を要約した言葉として知られる、自分が死ぬことを忘れるなというラテン語の句。

人生

この言葉について

自分がいつか必ず死ぬことを忘れず、今日という日を大切に生きよという古代の知恵。

【背景】

ラテン語の句メメント・モリの訳で、もとの意味は「死ぬことを忘れるな」。ストア派の標語とされることもあるが、その根拠は確かめられていない。死を見つめよというセネカの教えを要約する言葉として、彼の名と結びつけられている。

【解釈】

死の意識は恐怖のためではなく、人生の有限性を自覚することで今この瞬間を充実させるためにある。死を見つめることで、些細な悩みから解放される。

【現代への示唆】

先延ばしや惰性で過ごす日々への警鐘として、「もし今日が最後の日だとしたら」という問いかけは今も有効である。

さらに深く

【出典】

memento mori(メメント・モリ、死ぬことを忘れるな)というラテン語の2語の形は、セネカの『道徳書簡集』全20巻の原文には出てこない。この標語がいつ誰の言葉として広まったのか、確かな出典は確認できていない。死を思う教えそのものは、セネカの大きな主題である。第26書簡で彼は、古代ギリシアのエピクロス学派の祖エピクロスの、死を稽古せよ、という言葉を借り、そう言う者は自由を稽古せよと命じているのだ、と続ける。死を学んだ者は隷属を忘れ、私たちを縛る唯一の鎖は生への愛着だ、とも説く。

【よくある誤解】

古代ローマの凱旋式で、将軍の背後に立つ奴隷がメメント・モリとささやいたという話が広く出回っている。しかし、この場面を伝える資料の一つ、ローマ時代のキリスト教神学者テルトゥリアヌスの著作の第33章にある文言は、Respice post te! Hominem te memento!(後ろを見よ、自分が人間であることを忘れるな)で、死ではなく人間であることを思い出させる言葉である。テルトゥリアヌスはこれを、皇帝は人間であって神と呼ばれるべきではないと論じる文脈で持ち出している。ストア派の教えとは別の文脈の話である。

【この言葉のその後】

死を思わせる絵画は、ほとんど誰もが地上の生を死後への準備と信じていた宗教的な時代、17世紀に流行した。頭蓋骨を描いた肖像を基本に、砂時計や時計、消えかけのろうそく、果物や花が死の象徴として描かれ、世俗の楽しみや財の空しさを示すヴァニタス(空しさ)の静物画と近い関係にある。ヴァニタスの名は、旧約聖書の伝道の書の冒頭にある、空の空、すべては空、という言葉に由来する。イギリスのテート美術館は、この種の作品の例として、ピカソの1952年の作品「山羊の頭蓋骨、瓶、ろうそく」を挙げている。死を学ぶという主題は、モンテーニュ『エセー』の章題「哲学することは死ぬことを学ぶこと」にも現れる。

この言葉を残した人物

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