「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」
シェイクスピア近代
シェイクスピアの戯曲『ハムレット』第三幕第一場で、王子ハムレットが語る独白の第一行。
この言葉について
生と死のあいだで揺れる問いを投げかける、『ハムレット』の独白の書き出し。
【背景】
デンマークの王子ハムレットが思いをめぐらす独白は、この一行から始まり、運命の矢弾にじっと耐えるのが気高いのか、武器を取って苦難の海に立ち向かうのが気高いのか、と問いを広げていく。
【解釈】
ハムレットがここで死と自殺を思案していると読むのが、伝統的な批評の解釈である。一方で、運命に耐えるか立ち向かうかという生き方の選択を問う台詞として読む解釈もある。
【現代への示唆】
困難を前にして、耐えるか立ち向かうかという迷いは誰にでも訪れる。答えを急がず、迷いそのものを言葉にして見つめることの意味を、この一行は示している。
さらに深く
【出典】
シェイクスピアの戯曲『ハムレット』第三幕第一場、王子ハムレットの独白の第一行である。作者自身の格言ではなく、登場人物の台詞だ。第二四つ折本(Q2)以降の本文は「To be, or not to be, that is the question」(あるか、あらぬか、それが問題だ)で始まる。to be は「ある、存在する」を表す語で、原文に「べき」にあたる語は無い。1603年に出た第一四つ折本(Q1)では「To be, or not to be, Ay there's the point」(あるか、あらぬか、そう、そこが肝心だ)となっているが、Q1は今では研究者から、派生的な本文、あるいは不完全な記憶に基づく海賊版とみなされている。
【よくある誤解】
この独白を、ハムレットが自分の身の上だけを嘆く言葉として読むと、語り方とずれる。独白は終始抽象的な一般論として語られており、彼が自分自身の境遇を考えているのかどうかは明らかでない。死ぬことは眠ることだと言い、旅人が一人も帰ってこない「未知の国」への恐れが意志を惑わせ、こうして意識が我々みなを臆病にする、と話は人間一般へ広がっていく。また、この独白は立ち聞きされている。ハムレットは自分が一人だと思っているようだが、舞台上ではオフィーリアが彼を待ち、王クローディアスとポローニアスが身を隠して聞いている。本心からの独白とみなされるのがほぼ通例だが、置かれた場面は密室ではない。
【この言葉のその後】
この一行は現代英語で最もよく知られ、引用される台詞の一つとなり、演劇、文学、音楽の数多くの作品で参照されてきた。Q1は1603年に出版されながら、1823年に一冊が見つかるまで知られていなかった。日本では明治の早い時期から訳が試みられ、1874年1月の「ジャパン・パンチ」には「アリマス、アリマセン、アレハナンデスカ」というもじりが載った。1882年には外山正一が「死ぬるが増か生くるが増か」と訳し、1909年に坪内逍遥は「存ふるか、存へぬか?それが疑問ぢゃ」、1959年に福田恆存は「生か、死か、それが疑問だ」とした。見出しと同じ「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」という形は、2003年の新訳に見える。新訳が出るたびに、この一行の訳し方が話題になってきた。
この言葉を残した人物
「人生」の名言
「吟味されない生に、生きる価値はない」
プラトン『ソクラテスの弁明』が伝える、法廷のソクラテスが自らの生き方を語った言葉。
「万物は流転する」
ヘラクレイトスの思想を後世が要約した句として知られる、世界はたえず変化するという言葉。
「運命を愛せ」
ニーチェが『悦ばしき知識』で、必然的なものを美しいと見て愛そうと書いた言葉。
「汝の在るところのものになれ」
ニーチェがピンダロスの詩句を組み替え、『悦ばしき知識』で良心の声として書いた言葉。
「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、歴史は変わっていただろう」
パスカルが『パンセ』で、恋の小さな原因が世界を動かすことを例に、人間の空しさを示した一節。
「神は死んだ」
ニーチェが『悦ばしき知識』で、神への信仰が支えを失った時代の到来を告げた言葉。