フィロソフィーマップ

「シーシュポスは幸福であると想像しなければならない」

カミュ現代

カミュが『シーシュポスの神話』の結びで、不条理を見すえて生きる人間を描いた一文。

人生

この言葉について

永遠に岩を山頂へ押し上げる罰を受けた男にすら幸福を見出す、不条理の哲学の結論。

【背景】

カミュの哲学的エッセイ『シーシュポスの神話』(1942年)の結びの言葉。ギリシア神話で永遠に無意味な労働を強いられるシーシュポスを題材にした。

【解釈】

人生に究極的な意味がなくても、その事実から目をそらさずに生き続けること自体に価値がある。終わりのない罰を負いながら岩のもとへ戻っていくシーシュポスは、不条理を引き受けた英雄である。

【現代への示唆】

報われない努力や繰り返しの日常に向き合うヒントを与えてくれる。自分の置かれた状況を見すえたうえで、なお歩み続ける姿勢の大切さを示している。

さらに深く

【出典】

本人の著作にある。カミュの哲学的エッセイ『シーシュポスの神話』の結びの一文で、原文は Il faut imaginer Sisyphe heureux(イル・フォ・イマジネ・シジフ・ウールー、シーシュポスを幸福だと想像しなければならない)。直前には、頂上へ向かう闘いそれ自体が人の心を満たすのに十分なのだ、とある。この本は1942年10月に出た。同じ年の6月に出た小説『異邦人』と一緒に出すことをカミュは望んだが、商売上の理由と戦時の紙不足から別々に刊行された。題材のシーシュポスの罰は、ホメロス『オデュッセイア』第11歌で、オデュッセウスが冥界で見た光景として語られる。両手両足で巨石を丘の頂へ押し上げても、越える寸前に重みで転がり落ちる。

【よくある誤解】

報われない努力も過程を楽しめば幸せだ、という励ましとして読まれやすい。しかしカミュが重く見るのは楽しさよりも意識である。岩が転げ落ち、シーシュポスが山を下りていく時間を、彼は意識の時と呼び、その一瞬一瞬にシーシュポスは自分の運命より上に立ち、岩よりも強い、と書く。神々のプロレタリアであるシーシュポスは、無力で反抗的であり、自分の惨めな境遇の全体を知っている。それを知ったうえで、宗教のような偽りの解決に逃げず、屈することもなく、運命を自分のものとして引き受ける。彼の運命は彼のものであり、岩は彼のものだ、とカミュは書く。幸福は没頭から来るのではなく、明晰な意識と反抗から来る。

【この言葉のその後】

この本は、本当に重大な哲学の問題は一つしかない、それは自殺である、という問いから始まり、シーシュポスの幸福で閉じる。カミュは10年たたないうちに書いた『反抗的人間』の冒頭で、不条理の推論の最終的な結論は自殺の拒否であったと確かめたうえで、問いを自殺から殺人へ、個人から社会へと移した。1957年にノーベル文学賞を受け、1960年1月に自動車事故で46歳で亡くなった。その不条理の哲学は、頂上に着くたびに転がり落ちる岩を果てしなく押し上げるシーシュポスという、人間の運命を映す鮮烈な姿を後に残した。

この言葉を残した人物

「人生」の名言

カミュにこの言葉について聞いてみるこの名言をマップで見る名言の一覧へ