「他者の苦しみへの共苦こそが道徳の基盤である」
ショーペンハウアーが『道徳の基礎について』で、共苦こそ道徳の土台だと説いた主張を短くまとめた言葉。
この言葉について
さらに深く
【出典】
ショーペンハウアーの懸賞論文『道徳の基礎について』の中心命題を、短くまとめた言葉である。論文は、デンマーク王立科学協会が1837年に出した、道徳の源泉と基礎は意識に直接ある道徳の観念に求めるべきか、それとも別の源に求めるべきか、という課題に応えて書かれ、1839年に提出された。第3部の§16「唯一の真の道徳的動機の提示と証明」でショーペンハウアーは、この共苦(ドイツ語 Mitleid、ミットライト)だけが、自発的な正義とまことの人間愛の本当の基礎だと述べる。行為が道徳的な価値をもつのは共苦から生まれた場合だけで、ほかの動機から出た行いにはまったく価値がない、という強い主張である。1841年、ショーペンハウアーはこれを別の懸賞論文と合わせて一冊にまとめ、出版した。
【よくある誤解】
ショーペンハウアーは共苦を、その場の感情の動きとしてだけ説明したのではない。他人の苦しみを自分の苦しみのように感じるには、何らかの仕方で自分がその人と同一化していなければならないと考えた。そしてその根拠を、個体が別々に分かれているのは現象にすぎないという形而上学に求め、サンスクリットの定式「タット・トヴァム・アシ(汝はそれなり)」を引いている。また彼は、倫理の根本原則を、誰も傷つけるな、むしろできるかぎり皆を助けよ、というラテン語の一文にまとめ、共苦から正義と人間愛という二つの徳を導いた。理屈を軽んじたのでもない。抽象的な原則は道徳の原因ではないが、道徳的な生活を保つための貯水池として欠かせない、とも書いている。
【この言葉のその後】
この論文は、懸賞の場では退けられた。デンマーク王立科学協会は1840年1月30日付の判定で、応募者がただ一人だったにもかかわらず、受賞に値しないとした。理由として、課題の核心である形而上学と倫理の結びつきを付録に回したこと、そして近年の高名な哲学者たちに不穏当な仕方で触れていることを挙げている。ニーチェは1887年の『道徳の系譜』の序文で、かつての「偉大な師」ショーペンハウアーが、同情や自己否定といった非利己的な本能を金色に塗って神格化したと述べた。そして広がり続ける同情の道徳を、近代ヨーロッパ文明の最も不気味な兆候と呼んだ。共苦を道徳の土台とする考えは、ショーペンハウアーを師と呼んだ当の哲学者によって、真正面から問い直されたのである。
この言葉を残した人物
「愛」の名言
「他者の顔は「殺すなかれ」と語りかける」
レヴィナスが『全体性と無限』で、他者の顔の最初の言葉は「汝殺すなかれ」だと書いた一節に基づく言葉。
「我と汝」
ブーバーが主著『我と汝』の題に掲げた、世界への二つの関わり方の一方を示す根源語。
「愛は技術である」
フロムが『愛するということ』で、愛は学んで身につける技術だと説いた言葉。
「汝の隣人を愛せよ」
イエスが神への愛に次ぐ第二の戒めとして、旧約聖書レビ記の句を引いて示した言葉。
「君がぼくをなつかせたら、ぼくたちは互いに相手が必要になる」
サン=テグジュペリの『星の王子さま』第21章で、キツネが王子に絆の意味を教える台詞。
「苦しみを通してしか、本当に愛することはできない」
ドストエフスキーの短編「おかしな人間の夢」で、主人公が地上の愛は苦しみと切り離せないと語る一節。