「汝の隣人を愛せよ」
イエス・キリスト古代
イエスが神への愛に次ぐ第二の戒めとして、旧約聖書レビ記の句を引いて示した言葉。
この言葉について
自分自身を愛するように隣人を愛せという、キリスト教倫理の根幹にある愛の戒め。
【背景】
マタイによる福音書22章などに記されたイエスの言葉。イエスはこれを、神を愛することに次ぐ第二の戒めとして語った。文言はイエスの創作ではなく、旧約聖書レビ記の句をそのまま引いたものである。
【解釈】
隣人とは親しい人だけでなく、見知らぬ人、敵対する人をも含みうる。見返りを求めない愛(アガペー)を向けることが、人間の最高の倫理的行為とされる。
【現代への示唆】
利害関係を超えた思いやりの精神は、多様な人々が共存する現代社会でもっとも必要とされる徳のひとつである。
さらに深く
【出典】
新約聖書のマタイによる福音書22章で、律法の専門家に「律法の中でどの戒めがいちばん大切か」と問われたイエスの答えに出てくる。イエスはまず、心と魂と思いを尽くして神を愛することを第一の大いなる戒めとし、続けて「第二もこれと同じようである」として、自分のようにあなたの隣人を愛せよ、と述べた。ギリシア語原文は ἀγαπήσεις τὸν πλησίον σου ὡς σεαυτόν(アガペーセイス・トン・プレーシオン・ス・ホース・セアウトン)、「あなたは自分自身のように、あなたの隣人を愛しなさい」である。旧約聖書のレビ記19章18節には、あなたの民の子らに復讐してはならず、恨みを抱いてはならない、自分自身のようにあなたの隣人を愛せよ、とあり、イエスはこれを引いている。
【よくある誤解】
「汝の隣人を愛せよ」という短い形では、「自分自身のように」の部分が落ちている。また「隣人」が誰を指すかも、元の文脈では自明ではなかった。レビ記19章18節は前半で「あなたの民の子ら」への復讐を禁じているが、同じ章の34節は、あなたがたのもとに住む寄留者を自分自身のように愛せと、対象を広げている。ルカによる福音書10章では、「では、私の隣人とは誰か」と問われたイエスが、強盗に襲われた人を助けたサマリア人のたとえを語る。サマリア人は、ユダヤ人が付き合いを避けていた人々である。そしてイエスは、三人のうち誰が襲われた人の隣人になったかと問い返す。隣人とはあらかじめ決まった範囲ではなく、自分がなるものだという転換である。なお「敵を愛せ」は、マタイ5章44節の別の教えである。
【この言葉のその後】
この戒めの重さは、ユダヤ教の伝統でも語られてきた。レビ記の注解であるシフラは、ユダヤ教の学者ラビ・アキバがこの句を「トーラー(律法)の大原則」と呼んだと伝える。ユダヤ教の中心文献であるタルムードには、片足で立っている間に律法全体を教えよと迫った異邦人に、ユダヤ教の指導者ヒレルが、この句そのものではないが、自分が嫌なことを他人にするな、それが律法のすべてで、残りはその解説だ、と答えた話が残る。キリスト教では、パウロがガラテヤの信徒への手紙5章14節で、律法全体はこの一語に尽きると書き、ヤコブの手紙2章8節はこれを「王の律法」と呼んだ。デンマークの哲学者キルケゴールは『愛のわざ』で、隣人とはすべての人であり、敵も含まれると論じ、それが自然な傾きに反するからこそ命じられる必要があるとした。
この言葉を残した人物
「愛」の名言
「君がぼくをなつかせたら、ぼくたちは互いに相手が必要になる」
サン=テグジュペリの『星の王子さま』第21章で、キツネが王子に絆の意味を教える台詞。
「苦しみを通してしか、本当に愛することはできない」
ドストエフスキーの短編「おかしな人間の夢」で、主人公が地上の愛は苦しみと切り離せないと語る一節。
「大切なものは、目に見えない」
サン=テグジュペリの『星の王子さま』で、キツネが王子に別れ際に秘密として教える言葉。
「仁とは人を愛することである」
『論語』顔淵篇で、弟子の樊遅に仁とは何かと問われた孔子が答えた言葉。
「他者の苦しみへの共苦こそが道徳の基盤である」
ショーペンハウアーが『道徳の基礎について』で、共苦こそ道徳の土台だと説いた主張を短くまとめた言葉。
「他者の顔は「殺すなかれ」と語りかける」
レヴィナスが『全体性と無限』で、他者の顔の最初の言葉は「汝殺すなかれ」だと書いた一節に基づく言葉。