「他者の顔は「殺すなかれ」と語りかける」
レヴィナス現代
レヴィナスが『全体性と無限』で、他者の顔の最初の言葉は「汝殺すなかれ」だと書いた一節に基づく言葉。
この言葉について
他者の顔と向き合うとき、私たちは無条件の倫理的責任を負わされるという、倫理の根源についての哲学。
【背景】
レヴィナスが1961年に国家博士論文として出した主著『全体性と無限』の、他者の顔をめぐる議論から来る言葉。副題を「外部性についての試論」といい、自分の外にある他者との関係を正面から論じた本である。
【解釈】
他者の無防備な顔は、言葉があってもなくても「私を殺すな」と訴えかけている。この呼びかけに応えることが倫理の出発点であり、自己中心的な世界を打ち破る契機となる。
【現代への示唆】
力の差がある関係ほど、この言葉は重みを増す。弱い立場の相手からの訴えを、自分の都合より先に受け止められるかが問われている。
さらに深く
【出典】
エマニュエル・レヴィナスの主著『全体性と無限』(1961年)に、ほぼそのままの形で出てくる言葉である。この本でレヴィナスは、他者の顔に現れる無限は殺人より強く、顔においてすでに私たちに抵抗するとし、それを根源の表現、最初の言葉と呼ぶ。原文は est le premier mot : « tu ne commettras pas de meurtre »(エ・ル・プルミエ・モ、テュ・ヌ・コメトラ・パ・ドゥ・ムルトル)、最初の言葉、汝殺すなかれ、である。1905年にリトアニアのカウナスで生まれ、1939年にフランスに帰化したレヴィナスは、1940年、フランス軍の将校としてナチス・ドイツの捕虜となり、ファリングボステルの将校用労働収容所に送られた。リトアニアの家族は殺され、妻と娘は修道女にかくまわれた。
【よくある誤解】
「殺すなかれ」は、顔を前にすれば殺せなくなる、という意味ではない。レヴィナスは、他者は私が殺したいと思いうる唯一の存在だとも書いている。殺すことができてしまう相手だからこそ、その顔は禁止として迫ってくるのである。顔がもたらす衝撃は二重で、命令であると同時に呼びかけでもある。レヴィナスは他者の顔を、聖書に出てくる「やもめ、孤児、寄留者」の顔として語る。裸で無防備な顔は、相手を支配しようとする私たちの欲望に、受け身の抵抗を突きつける。弱く無防備であることが、そのまま命令の力になっているのである。
【この言葉のその後】
顔の倫理は、その後のレヴィナス自身の思索で深められた。1974年の第二の主著『存在するとは別の仕方で』では、互いに記号が交わされる以前のところに、経験的な発話ではない、責任という関係があると論じられる。この本は、フランスの哲学者デリダが1964年の論文「暴力と形而上学」でレヴィナスに向けた批判への、部分的な応答でもあった。レヴィナスは、伝統的に形而上学や神学、ハイデガーでは存在論が占めてきた第一哲学の座に、倫理を置くべきだと論じた。フィリップ・ネモとのラジオでの対談も、のちに本にまとめられている。レヴィナスは1995年12月25日にパリで亡くなった。
この言葉を残した人物
「愛」の名言
「我と汝」
ブーバーが主著『我と汝』の題に掲げた、世界への二つの関わり方の一方を示す根源語。
「愛は技術である」
フロムが『愛するということ』で、愛は学んで身につける技術だと説いた言葉。
「汝の隣人を愛せよ」
イエスが神への愛に次ぐ第二の戒めとして、旧約聖書レビ記の句を引いて示した言葉。
「君がぼくをなつかせたら、ぼくたちは互いに相手が必要になる」
サン=テグジュペリの『星の王子さま』第21章で、キツネが王子に絆の意味を教える台詞。
「苦しみを通してしか、本当に愛することはできない」
ドストエフスキーの短編「おかしな人間の夢」で、主人公が地上の愛は苦しみと切り離せないと語る一節。
「大切なものは、目に見えない」
サン=テグジュペリの『星の王子さま』で、キツネが王子に別れ際に秘密として教える言葉。