「存在が意識を規定する」
マルクス近代
マルクスが『経済学批判』の序言で、社会的存在が人間の意識を規定すると述べた一文を縮めた言葉。
この言葉について
さらに深く
【出典】
マルクス本人の文を短くしたものである。1859年に刊行された『経済学批判』の序言に「Es ist nicht das Bewußtsein der Menschen, das ihr Sein, sondern umgekehrt ihr gesellschaftliches Sein, das ihr Bewußtsein bestimmt(人間の意識がその存在を規定するのではなく、逆に人間の社会的存在がその意識を規定する)」とある。ここでの「存在」は社会的な存在である。直前でマルクスは、生産関係の総体が社会の経済的構造、つまり現実の土台をなし、その上に法律的・政治的な上部構造がそびえ立つと述べ、物質的生活の生産様式が社会的・政治的・精神的生活の過程全般を条件づけると書いている。
【よくある誤解】
この命題は、人の考えは経済状況で機械的に決まるという決定論として受け取られやすい。だがエンゲルスは1890年の手紙で、唯物史観によれば歴史を最終的に規定する要因は現実の生活の生産と再生産であり、それ以上のことをマルクスも自分も主張したことはないと書いた。経済的要因が唯一の規定要因だと言い換えれば、命題は無意味で抽象的な空文句になるという。経済状態は土台だが、政治の形態や法の形式、哲学や宗教の見解といった上部構造の諸要素も歴史上の闘争の経過に影響を及ぼし、多くの場合その形を決めるうえで優位に立つ、とも述べている。
【この言葉のその後】
似た文は、マルクスとエンゲルスが1845年ごろに書いた『ドイツ・イデオロギー』の草稿にもあり、そこでは「意識が生活を規定するのではなく、生活が意識を規定する」となっている。ただし、二人が『ドイツ・イデオロギー』という本を書き上げたわけではなく、残っているのは18の草稿で、「存在が意識を規定する」という形の文はその中に無い。新しい全集版の刊行を伝えたドイツの新聞の書評は、この一句を土台と上部構造の機械的な決定関係とみる通俗的な理解を退けている。また、ヘーゲルとの関係を示す有名な比喩は、1873年の『資本論』第2版後記にある。ヘーゲルのもとで弁証法は頭で立っており、正しく立て直さねばならないという。