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「目的は手段を正当化する」

マキャヴェッリ近代

『君主論』などに見るマキャヴェッリの思想を要約した言葉として知られ、結果で手段を評価する考えを表す。

政治

この言葉について

政治で重要なのは道徳的な正しさよりも、国家の維持と繁栄という結果だとする、現実主義的な政治観を表す言葉である。

【背景】

マキャヴェッリの思想を表す標語として広まったが、本人の著作にこの形の文は無い。近い一節は『君主論』(1513年末執筆、死後の1532年刊)の第18章などにある。この本は、政治を道徳から切り離した近代政治学の出発点ともされる。

【解釈】

理想だけでは政治の現実に立ち向かえず、君主は必要とあれば残酷さや偽りも使いこなすべきだとされる。重要なのは国家の安定と市民の安全という結果である。

【現代への示唆】

理想と現実の間で判断を迫られる政治の本質を鋭く描いている。ただし手段の無制限な正当化という危険もはらむ。

さらに深く

【出典】

見出しの言葉に近いマキャヴェッリ本人の文は二つある。一つは『君主論』第18章の一節で、原文は「e nelle azioni di tutti gli uomini, e massime de’ Principi, dove non è giudizio a chi reclamare, si guarda al fine」である。訳せば「すべての人間の、とりわけ君主の行為については、訴え出る法廷がないので、人は結果を見る」となる。続けて、君主が国を保ちさえすれば、その手段はいつも名誉あるものと判断され、皆にほめられると書く。もう一つは『ディスコルシ』第1巻第9章で、ロムルスがレムスとタティウスを死なせた件について、行為が彼を責めても結果が彼を弁護するのがふさわしいと述べた箇所である。

【よくある誤解】

第18章の文は、目的のためなら何をしてもよいという道徳上の許可ではなく、世間が君主をどう評価するかの観察である。マキャヴェッリはそこで、人は一般に手で触れるより目で見て判断し、大衆はいつも見かけと事の成り行きにとらわれると書いている。『ディスコルシ』の箇所にも条件がある。弁護されるのは、自分や子孫のためでなく共通の善と祖国のために国の秩序をつくる者であり、責められるべきは壊すために暴力をふるう者であって、立て直すためにふるう者ではないという。手にした権力を他人に世襲させてはならないとも念を押す。1883年のトムソンによる英訳は、この箇所を、行為が行為者を責めても目的が彼を正当化しうる、と訳している。

【この言葉のその後】

結果で行いを評価する言い回し自体は古い。ローマの詩人オウィディウスが、ピュリスからデモポオンに宛てた手紙の形で書いた詩に「exitus acta probat(エクシトゥス・アクタ・プロバト、結果が行いを是とする)」とある。ピュリスは、約束の期日を過ぎても戻らないデモポオンを嘆く中で、ある人の言葉としてこの句を引き、その直後に、出来事の結果で行いを裁くべきだと考える者には成功が訪れぬように、と願っている。マキャヴェッリの名からは「マキャヴェリズム」などの語が生まれ、本人が実際にそうだったかとは別に、今も哲学者の間で使われる。一方でルソーは、『君主論』の本当の教訓は、君主のふるまいの真実を人民に教えて一人支配の不道徳を暴くことにあると見た。

この言葉を残した人物

「政治」の名言

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