「足るを知る者は富む」
老子古代
老子が『老子』第33章で、満ち足りることを知る者こそ本当に豊かだと説いた言葉。
この言葉について
さらに深く
【出典】
『老子』第33章の一句で、原文は「知足者富」(足るを知る者は富む)である。この章は、人を知る者は智、自らを知る者は明、人に勝つ者は力があり、自らに勝つ者は強い、と外へ向かう力と内へ向かう力を対にして並べ、そのあとにこの句を置く。『老子』は足ることをほかの章でも説いており、第46章では、禍は足るを知らないことより大きなものは無く、咎は得ようと欲することより大きなものは無い、と書き、だから足るを知って得た満足こそがいつも満ち足りている、と結ぶ。
【よくある誤解】
足るを知るとは、努めることをやめて今に甘んじよ、という意味ではない。第33章は、足るを知る者は富むのすぐ後に、努めて行う者は志がある、と続けている。また第44章は、名声と身とどちらが親しいか、身と財貨とどちらが大事か、と問い、ひどく惜しめば必ず大きく費やし、多く蓄えれば必ず多くを失う、と言う。そのうえで、足るを知れば辱められず、止まるを知れば危うくなく、長く保つことができる、と結ぶ。ここで足るを知ることは、身を守り長く保つための知恵として語られている。
【この言葉のその後】
少しで足りることを説いた思想家は、古代ギリシアにもいた。古代の哲学史家ディオゲネス・ラエルティオスが伝える『メノイケウス宛の手紙』で、エピクロスは、外のものに頼らない自足を大きな善と見なし、それはいつも少しで済ますためではなく、多くを持たないときにも少しで足りるようにするためだと説明する。贅沢を最も楽しむのは、贅沢を最も必要としない人だという。足るを知らないことを禍のもとと見る『老子』と違い、エピクロスは贅沢を楽しむこと自体は否定していない。この考えは、学派の違うストア派のセネカによっても伝えられた。セネカは『倫理書簡集』第21書簡で、エピクロスがイドメネウスに書き送った名高い一文として、ピュトクレスを豊かにしたいなら、金を足すのではなく欲を減らすべきだ、という言葉を引いている。一方「知足」の語は、仏教の漢訳経典にも出てくる。鳩摩羅什が漢訳した、ブッダが涅槃に入る間際の戒めを伝える経典は、知足の人は地面に寝ていても安楽で、知足でない者は天上にいても満たされず、富んでいても貧しい、と説いている。
この言葉を残した人物
老子のほかの名言
「幸福」の名言
「物事には、われわれの力の及ぶものと、及ばないものがある」
エピクテトスの教えを伝える『提要』の冒頭で、力の及ぶものと及ばないものを分けた一文。
「ただちに生きよ」
セネカが『人生の短さについて』で、明日を当てにせず今日のうちに生きよと促した言葉。
「幸福とは、完全な徳に即した魂の活動である」
アリストテレスが『ニコマコス倫理学』第1巻で、幸福を徳の発揮として定義した言葉。
「幸福とは、持つことではなく、在ることである」
フロムが『生きるということ』で示した「持つ様式」と「ある様式」の対比を要約した言葉として知られる。
「意味への意志」
フランクルが、快楽への意志や力への意志に対して、人を根本で動かすものとして掲げた考え。
「大麦のパンと水は、飢えた者が口にするとき最高の快を与える」
エピクロスが『メノイケウス宛の手紙』で、質素な食べ物も飢えを満たすとき最高の快をもたらすと述べた一文。