「幸福とは、持つことではなく、在ることである」
フロム現代
フロムが『生きるということ』で示した「持つ様式」と「ある様式」の対比を要約した言葉として知られる。
この言葉について
さらに深く
【出典】
「幸福とは、持つことではなく、在ることである」という一文の出典は確認できていない。内容は、精神分析家エーリッヒ・フロムが1976年に英語で書き、ハーパー&ロウ社から刊行した『生きるということ』(原題 To Have or to Be?)の中心にある「持つ様式」と「ある様式」の対比に対応している。1977年の邦訳でフロムは、持つ様式においては幸福は他人に対する自己の優越性や自己の力、究極的には征服し、奪い、殺す能力の中にあり、ある様式においては、それは愛すること、分かち合うこと、与えることの中にある、と書いている。確認できた箇所で同書が幸福を語るのは、このように二つの様式を並べて比べる形であり、持つことではなく在ることだ、と言い切る一文ではない。
【よくある誤解】
この対比を、物を持たないことの勧めと受け取ると、フロムの議論から外れる。邦訳で彼は、生命を保つための合理的な「持つこと」(邦訳の言葉で「存在的な持つこと」)を、自分が批判する「性格学的な持つこと」から区別している。問題にされるのは、私は私が持つものである、という形で自分の同一性を所有物に預ける態度で、その関係は主体と客体の双方を物にしてしまう死んだ関係だとフロムは書く。また、ある様式は、何もしないでただ存在していることでもない。フロムはその基本的な特徴を、自分の人間的な力を生産的に使用するという内面的能動性だと規定した。在るとは、能動的に生きることなのである。
【この言葉のその後】
持つことと在ることの対比には前史がある。フロムは1961年に出したマルクス論の中で、マルクスの『経済学・哲学草稿』から、あなたが存在することが少なければ少ないほど、自分の生を表現することが少なければ少ないほど、あなたはより多くを持つ、という一節を引き、疎外された人間は世界と、持ち、消費することによってしか関われないと論じていた。哲学者で劇作家でもあったガブリエル・マルセル(1889〜1973)も、持つことと在ることを区別して主要著作の題にも掲げ、その代表的な例として、持つものでもあり在るものでもある「私の身体」を挙げていた。『生きるということ』は、現代社会が物質主義的になり、在ることより持つことを好むようになったと論じ、この区別を社会批判へと広げた本である。
この言葉を残した人物
フロムのほかの名言
「幸福」の名言
「意味への意志」
フランクルが、快楽への意志や力への意志に対して、人を根本で動かすものとして掲げた考え。
「大麦のパンと水は、飢えた者が口にするとき最高の快を与える」
エピクロスが『メノイケウス宛の手紙』で、質素な食べ物も飢えを満たすとき最高の快をもたらすと述べた一文。
「夢に蝶となりて、蝶の夢か我の夢か知らず」
荘子の名で伝わる『荘子』「斉物論」篇の、胡蝶の夢の問いを縮めて訳した言葉。
「足るを知る者は富む」
老子が『老子』第33章で、満ち足りることを知る者こそ本当に豊かだと説いた言葉。
「物事には、われわれの力の及ぶものと、及ばないものがある」
エピクテトスの教えを伝える『提要』の冒頭で、力の及ぶものと及ばないものを分けた一文。
「ただちに生きよ」
セネカが『人生の短さについて』で、明日を当てにせず今日のうちに生きよと促した言葉。