「ただちに生きよ」
セネカ古代
セネカが『人生の短さについて』で、明日を当てにせず今日のうちに生きよと促した言葉。
この言葉について
さらに深く
【出典】
セネカの『人生の短さについて』第9章にある言葉である。セネカはこの章で、生きることの最大の妨げは期待であり、それは明日にすがって今日を失わせる、と書く。そして、どこを見ているのか、どこへ手を伸ばしているのか、来るべきものはすべて不確かなところにある、ただちに生きよ、と結ぶ(原文 protinus vive、プロティヌス・ウィーウェ)。同じ考えは『倫理書簡集』第1書簡にもある。セネカは友人ルキリウスに、すべての時間を抱きしめよ、今日に手をかければ明日に頼ることが少なくなる、と勧め、先延ばしにしているうちに人生は走り去る、と書いている。
【よくある誤解】
この言葉を、過去も未来も当てにならず今だけが確かだ、という意味に読むと、セネカ自身の分け方と食い違う。『人生の短さについて』第10章で彼は人生を過去・現在・未来の三つに分け、今していることは短く、これからすることは不確かで、すでにしたことは確かだ、と書く。過去は運命の支配の外にある神聖な部分だと言い、忙しさに追われる人はこの過去まで失うと批判する。第15章で描かれる賢者は、過ぎた時を記憶でつかみ、今の時を使い、来る時を先取りする。今だけに閉じこもれという教えではなく、三つの時をすべて自分のものにせよという教えである。
【この言葉のその後】
明日を当てにしない点で似た句に、ラテン語の「カルペ・ディエム」(その日を摘め)がある。これはセネカではなく詩人ホラティウスの詩集の第1巻第11歌にある句で、明日をできるだけ当てにするな、と続く。同じストア派では、2世紀のローマ皇帝マルクス・アウレリウスが『自省録』第2巻で、三千年生きても一万年生きても、人が手放せるのは今生きているこの小さな部分だけであり、過去や未来は持っていないのだから失いようがない、と書いた。セネカが時間を自分の手に取り戻せと説いたのに対し、マルクスは、死ぬときに失うのもこの一瞬だけだという形で、同じ時間の問題を考えた。
この言葉を残した人物
セネカのほかの名言
「幸福」の名言
「幸福とは、完全な徳に即した魂の活動である」
アリストテレスが『ニコマコス倫理学』第1巻で、幸福を徳の発揮として定義した言葉。
「幸福とは、持つことではなく、在ることである」
フロムが『生きるということ』で示した「持つ様式」と「ある様式」の対比を要約した言葉として知られる。
「意味への意志」
フランクルが、快楽への意志や力への意志に対して、人を根本で動かすものとして掲げた考え。
「大麦のパンと水は、飢えた者が口にするとき最高の快を与える」
エピクロスが『メノイケウス宛の手紙』で、質素な食べ物も飢えを満たすとき最高の快をもたらすと述べた一文。
「夢に蝶となりて、蝶の夢か我の夢か知らず」
荘子の名で伝わる『荘子』「斉物論」篇の、胡蝶の夢の問いを縮めて訳した言葉。
「足るを知る者は富む」
老子が『老子』第33章で、満ち足りることを知る者こそ本当に豊かだと説いた言葉。