
ハーバート・スペンサー
Herbert Spencer
1820年 — 1903年
社会進化論を唱え「適者生存」を広めた思想家
この人物について
進化の原理をあらゆる領域に適用し、社会もまた自然淘汰によって進歩するという社会進化論を唱えたヴィクトリア朝イギリスの思想家。
【代表的な思想】
■ 社会進化論
ダーウィンの進化論を社会に適用し、社会は単純な状態から複雑な状態へと自然に進化するとした。「適者生存」(survival of the fittest)という表現を生み出した。
■ 自由放任主義
政府の介入は自然な社会進化を妨げるとし、教育・福祉・衛生まで国家が関与すべきでないという徹底した自由放任を主張した。
■ 総合哲学体系
生物学・心理学・社会学・倫理学を進化の原理で統一する壮大な体系を構想し、全10巻の著作群として刊行した。
【特徴的な点】
生前はダーウィンを凌ぐほどの名声を誇ったが、社会進化論が優生思想や帝国主義の正当化に利用されたことから20世紀には激しい批判を受けた。
【現代との接点】
競争至上主義や自己責任論の思想的源流として、功罪の両面から検討すべき思想家。科学理論の社会的応用の危険性を考える好例でもある。
さらに深く
【思想の形成】
ハーバート・スペンサーは1820年、イングランド中部のダービーで、非国教徒(メソジスト系クエーカー的)の教師の家に生まれた。病弱のため学校教育をほとんど受けず、叔父や父による個人教授で数学と自然科学を学んだ独学の人である。青年期に鉄道測量技師として働きながら地質学・生物学・政治経済学を吸収し、やがてジャーナリストに転身して週刊誌「エコノミスト」の副編集長となった。ダーウィンの『種の起源』が刊行される以前の1852年の論文「発達仮説」で進化概念を打ち出していたのは注目すべき事実である。1855年の『心理学原理』以後は終生独身で健康に悩みつつ、姉妹のように親しい友人関係のなかで執筆に専念し、友人ジョージ・エリオットとの関係も伝記的に名高い。
【思想的意義】
スペンサーの野心は、物理・生物・心理・社会・倫理を貫通する進化の原理を一つの体系として提示する「総合哲学体系」を完成させることにあった。進化は同質から異質へ、単純から複雑へ、不確定から確定へと進む普遍法則と定義され、星雲から社会制度まで一貫して説明されると構想された。『種の起源』を読む前から構想していた「適者生存(survival of the fittest)」の語はダーウィンも後年採用した。『社会学原理』では社会を生物有機体に類比し、単純な軍事型社会から複雑な産業型社会への移行として歴史を読んだ。国家の介入は自然な進化過程を歪めるとして、教育・福祉・通貨発行に至るまで徹底した自由放任を主張する一方、帝国主義的侵略戦争には生涯一貫して反対する平和主義者でもあった。
【影響と継承】
ヴィクトリア朝後期にはダーウィンを凌ぐほど国際的影響力を持ち、アメリカではウィリアム・グラハム・サムナー、アンドリュー・カーネギーを通じて実業界と政治の言語に浸透した。日本では明治期に中村正直《なかむらまさなお》、外山正一《とやままさかず》、加藤弘之《かとうひろゆき》らが紹介し、自由民権運動と国権論の双方に素材を提供した。しかし進化の語彙は後に優生思想や植民地主義、競争至上主義の正当化に悪用され、二十世紀には評判が急落した。スペンサー本人の緻密な自由主義的平和論と、曲解された社会ダーウィニズムは区別して読まれるべきであり、近年は政治思想史研究による再評価が進みつつある。
【さらに学ぶために】
マイク・ホーキンス『Social Darwinism in European and American Thought』(邦訳未刊) は一次文献の差異と後世の変容を整理した標準文献である。『社会静学』の森村進《もりむらすすむ》訳、『自伝』の抄訳が邦訳で読める。ダーウィン『種の起源』、コント『実証哲学講義』、ミル『自由論(ミル)』と並べれば十九世紀イギリスの知的布置が立体化する。稲葉振一郎《いなばしんいちろう》『社会学入門』も現代的応用を考える手がかりになる。


