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決

『決定的論説』

けっていてきろんせつ

アヴェロエス·中世

哲学と啓示の両立を論じたイスラム中世のアヴェロエス代表作

哲学宗教

この著作について

12世紀アンダルシアのイスラム哲学者イブン・ルシュド(アヴェロエス)が1179〜80年頃に執筆した短い論考。哲学と宗教(啓示)の関係を正面から論じ、両者が真理を異なる方法で語るに過ぎず矛盾しないと宣言した、中世思想史上の決定的文書である。

【内容】

イスラム法の枠内で哲学(ファルサファ)研究の正当性を確立するため、クルアーン自身が推理と思索を命じていることを出発点とし、論理学・形而上学の学習が宗教的義務の一部であると論証する。人々には哲学的論証を理解できる学者、弁証論で納得する知識人、比喩と説得を必要とする大衆の三階層があり、それぞれに適した真理の伝達方法があるとする「三階層論」が提示される。哲学と宗教の外見上の矛盾は、比喩的解釈によって解消されるべきだと説く。

【影響と意義】

トマス・アクィナスら中世ラテン世界のアリストテレス受容に決定的影響を与え、「二重真理説」の名で論争されたが、本人の立場はむしろ「一つの真理の二つの表現」である。現代のイスラム啓蒙主義再評価でも中心テクスト。

【なぜ今読むか】

理性と信仰の共存を問う古典的問題は、世俗と宗教の緊張が各地で高まる現代で再び切実になっている。

さらに深く

【内容のあらまし】

冒頭で、法学者でありイマームであり裁判官であるイブン・ルシュドが問いを立てる。哲学と論理学の学習は、イスラーム法の立場から許されるのか、禁じられるのか、勧めや義務として命じられるのか。

哲学が、存在するものを作り手のしるしとして考察する営みにほかならないなら、法が考察を促す以上、哲学は義務か推奨にあたる。クルアーンは「省察せよ、見る目をもつ者たちよ」と命じている。考察は既知から未知を引き出す推論であり、その最も完全な形が論証だ。法学者が法的推論を学ぶように、神を知ろうとする者は論理学を学ばねばならない。古代人の書物は、宗教が違っても、正しければ受け入れ、誤りは指摘すればよい。生まれつきの知性と信仰上の誠実さや徳をあわせ持つ者にその研究を禁じるのは、神への道をふさぐ行いだとする。哲学書の害は偶然にすぎないと、蜂蜜の伝承で示す。人の本性は納得に至る道が異なり、論証、弁証、修辞のどれかで、どのムスリムにも神を知る道が用意されているという。

真理は真理に反しないから、論証の結論と啓典の字義が食い違うときは、アラビア語の比喩の慣用に沿って啓典を解釈する。ガザーリーはファーラービーとイブン・シーナーを、世界の永遠性、神は個物を知らないという説、肉体の復活など来世の記述の比喩的な解釈の三点で不信仰と断じた。イブン・ルシュドは、ガザーリー自身が別の書で、合意に反するという理由の不信仰宣告は暫定的にしかなりえないと述べており、理論的な事柄では合意を確かめようもないと答える。神は個物を知らないという非難には、神の知は対象の原因であり、結果である人間の知とは種類が違うと答える。世界の永遠性をめぐるアシュアリー派と古代の哲学者の争いは、とくに一部の古代人については、ほとんど名前の付け方の違いだという。正しく判断した裁判官は二倍、誤っても一つの報いを受けるという伝承のとおり、難問で誤った資格ある学者は赦される。来世は学者の判断が分かれる類で、その存在の否定だけが不信仰になる。

比喩的な解釈は論証の書物にだけ書くべきだとし、大衆向けの書にも書いたガザーリーを、法にも哲学にも背くと批判する。人々は修辞で足りる大衆、弁証の人々、論証の人々の三階層に分かれ、資格のない者に解釈を語れば、語る者も聞く者も不信仰に導かれる。解釈を大衆に広めたムゥタズィラ派とアシュアリー派が宗派の争いを生んだとし、哲学は宗教の友であり乳姉妹で、友から受ける傷は敵からの傷より重いと嘆く。最後は、「この勝利の統治」によって神が弊害の多くをすでに除き、大衆を中道の神認識へ招き、エリートに原理の徹底した研究を促したと述べる。

著者

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