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知

『知性の単一性について』

ちせいのたんいつせいについて

中世

アヴェロイストの知性単一説を論駁したトマスの短編論文。

哲学

この著作について

1270年にトマス・アクィナスがパリで著した短編論文である。ラテン語原題は De unitate intellectus contra Averroistas。アヴェロエス(イブン・ルシュド)の思想に由来し、当時パリ大学文学部で流布していたラテン・アヴェロイスト、特にブラバンのシゲルスらの「知性単一説」を正面から論駁する。【内容】アヴェロイストは、可能知性(intellectus possibilis)は人類全体に一つだけ存在し、個々人はそれと一時的に結合することによって思考すると主張した。トマスはアリストテレス『デ・アニマ』の正確な解釈を提示しつつ、この説が個人の思考主体性と魂の不死を否定すると批判する。各人が「私が思考する」と語りうる以上、知性は各個人に固有のものであることを論証し、テクスト解釈と哲学的論証を緊密に結びつけた。【影響と意義】13世紀パリ大学を揺るがしたアヴェロイズム論争の核心文書であり、1270年と1277年のパリ司教タンピエによる禁令に至るスコラ哲学の地殻変動を映し出す。哲学と神学の関係、信仰と理性の境界をめぐる議論の古典となった。【なぜ今読むか】個人と普遍、思考の主体性とは何かという問いを、緻密な論証で追体験できる稀有な一冊である。

さらに深く

【内容のあらまし】

本書は短い序と5つの章からなる。書き出しは、すべての人は生まれつき真理を知ることを望み、誤りを避けて論駁することも望むという一文だ。標的は、可能知性は身体から離れた実体で、全人類に一つだけだというアヴェロエスの説である。トマスは、知性が多数でなければ死後の賞罰も消えるので信仰に反することは少し考えればわかると断り、哲学の原理にも反することを示すと宣言する。ペリパトス派に従うと言いながらアリストテレスの著作しか見ていない人々がいるので、まず本人の言葉から始めるという。

第1章は、魂を器官をそなえた自然的物体の第一の現実態《げんじつたい》とするアリストテレスの魂論第2巻の定義から読み起こし、知性は器官を持たないこと、知性的な魂は形相でありながら滅びないことを、『形而上学』の一節なども引いて示す。第2章は、テミスティオスをはじめテオフラストスらギリシアのペリパトス派を挙げ、アラブ人も引いて、アヴェロエスはペリパトス派ではなくその哲学を歪めた者だと言い放つ。

第3章でトマスは、「hic homo singularis intelligit(この個々の人間が理解している)」ことは明らかで、そうでなければ知性について問うことさえないと言う。アヴェロエスは、知性が表象像《ひょうしょうぞう》を介して私たちと結びつくので、知性が理解するときこの人も理解すると説く。トマスは壁と色のたとえで退ける。壁は見ず、見られるのは壁の色だ。同じく人は理解せず、人の表象像が理解されるだけになる。別の人々は、知性が身体を動かすものとして結びつくと言うが、理解は知性だけの働きで、職人がのこぎりで細工をしても、のこぎりが細工物を作るとは言わないのと同じだと返す。

第4章は、すべての人間が一つの目を共有していたらと問い、人の主たるものは知性なのだから、知性が一つなら理解し意志する者も一人だと詰める。私が石を理解し、あなたも同時に理解するとき、二人の知性の働きは同じ一つになるとも言う。第5章は反論に答え、私とあなたが理解する事物は一つでも、それぞれ別の形象を通して理解すると説く。知性が多数で不滅なら、世界を永遠と考えたアリストテレスの立場では無限になるという難問には、アルガゼルの答えを引き、離存《りそん》実体を論じた『形而上学』の部分は手元にないので彼の答えは知りえないと認める。

終盤では、理性によれば知性は一つだと必然的に結論するが信仰によって反対を固く保持する、という論敵の言葉を、信仰が偽で不可能なことにかかわることになると咎める。最後は、片隅で少年たちを相手に語らず、反論があるなら書けという挑戦で閉じられる。

著者

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