『矛盾の矛盾』
むじゅんのむじゅん
アヴェロエス·中世
ガザーリーの哲学批判を逐条反駁したアヴェロエス最大の論争書
この著作について
12世紀アンダルシアの哲学者イブン・ルシュド(アヴェロエス)が1180年頃に執筆した論争の書。原題『矛盾の矛盾(タハーフト・アッ・タハーフト)』は、イスラム神学者ガザーリーの『哲学者の矛盾』を逐条反駁する形式を取り、イスラム哲学史における最大の哲学擁護書である。
【内容】
ガザーリーが『タハーフト・アル・ファラーシファ』で提起した哲学に対する20の非難(世界の永遠性、神の普遍知、因果性、霊魂の不死、復活など)を一つずつ引用し、それぞれへの応答を展開する。アヴェロエスは、ファーラービーとイブン・シーナーの新プラトン主義的変容を経たアリストテレス哲学を、ガザーリーが誤解していると論じつつ、真正のアリストテレス解釈を復元することで哲学と宗教の両立を確保しようとする。因果性と神の普遍性の問題など、哲学的緊張が最も高い論点は特に詳しく扱われる。
【影響と意義】
中世ラテン世界で「アヴェロエス主義」の原典として読まれ、トマス・アクィナスの『哲学大全』『神学大全』にも陰の対話相手として影響した。西洋近代が古代ギリシア哲学を再発見する重要な媒介となった。
【なぜ今読むか】
「理性と信仰の両立」という問いが文明を超えて受け継がれていく姿を示す、世界哲学史の結節点的テクスト。
さらに深く
【内容のあらまし】
冒頭で、イブン・ルシュドは狙いを明かす。ガザーリーの哲学批判の書の主張がどの程度人を納得させるかを示し、その大半が明証にも真理にも届かないと証すというのだ。本文は「ガザーリーは言う」「私は言う」の往復で進み、章立てもガザーリーに従って、形而上学の16の論題に自然学の4つの論題が続く。
第1の論題は世界の永遠性で、哲学者側の4つの証明が順に検討される。永遠なるものから時間の中のものは生じないという第1の証明を、イブン・ルシュドはまず、弁証的な議論で論証には届かないと認める。多くの問いを一つに束ねるのは七つの詭弁の一つだと指摘し、議論を分け直す。第10の論題では、ガザーリーの反論が当たるのは必然的存在者から出発する証明に対してであり、その方法は古代の哲学者のものではなく、知る限りイブン・シーナーが最初に使ったと切り分ける。
第11の論題では、この本で自分が述べたことも技術的な論証ではなく、説得力に差のある議論にすぎないと認め、ガザーリーの書は「両陣営の矛盾」と呼ぶのがふさわしいとまで言う。第13の論題は神が個物を知るかを問う。ガザーリーは日食の前、最中、後の例で、出来事をそのつど知れば神は変化するという哲学者の考えを説明し、神の知も人間の知のように対象から生じうると反論する。イブン・ルシュドは哲学者の立場から、我々の知識は存在するものの結果だが神の知識はその原因だと応じ、同じとみなせば神を永遠の人間に、人間を死すべき神にしてしまうと言う。
自然学の部の第1の論題は因果をめぐる対決である。ガザーリーは、綿を燃やすのは火ではなく、天使を介するにせよ介さないにせよ神であり、火と燃焼の結びつきは必然ではないと説く。観察が示すのは同時に起こることだけだといい、生まれつき目が膜に覆われた人が、昼に膜を除かれてまぶたを開いたから見えると思い、日没で初めて太陽の光のおかげと悟る例を引く。イブン・ルシュドは、感覚で確かめられる作用因を否定するのは詭弁だと退け、原因を否定する者は知性をも否定せねばならないと返す。それらの原因だけで足りるのか、外の原因を要するのかは自明でなく、探究が要るとも断る。
最後の論題は身体の復活である。よみがえるのはこの世の身体そのものではなくその似姿だと述べ、ガザーリーが哲学者を異端と断じた三つの点を振り返る。復活は思弁の問題だと示し、神は個物を知らないという説は哲学者のものではなく、世界の永遠も異端とされる意味ではないと示してきたとまとめる。資格ある者はガレノスの言うように千人に一人だが、その人々のためでなければ論じなかったと断り、許しを請うて筆を置く。
著者
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