入門編 · 中世から近代の入口へ · 第21章
スコラ哲学:理性で神を考える
12世紀のパリ。セーヌ川左岸のサント・ジュヌヴィエーヴの丘には、ヨーロッパ各地から学生が集まっていました。彼らが学んでいたのがスコラ哲学です。スコラとは「学校」の語源であるラテン語のスコラ・ストゥディオールム。修道院の閉じた写本の世界から、開かれた知の議論場へと、ヨーロッパは大きな一歩を踏み出していました。
修道院から大学へ
初期中世の知識は、修道院の写字室にこもって古典をひたすら筆写することで保存されてきました。けれども都市の復興と商業の発達が、新しい型の学びの場を必要とします。12世紀から13世紀にかけて、ボローニャ・パリ・オックスフォードに最初の大学が次々と誕生しました。教会の組織でも王権の役所でもない、教師と学生の自治組合としての大学です。
ここで採用された方法が、後にスコラ的と呼ばれる議論術でした。ある主題について、まず想定される反論を列挙し、次に自説を述べ、最後に各反論を一つずつ論駁する。この厳格な手続きが、感情的な信念をいったん理性のテーブルに乗せ、論証の対象に変えていきました。信仰そのものさえ、こうして論じる対象になっていきます。
アンセルムスと神の存在論的証明
11世紀末のカンタベリー大司教アンセルムスは、信仰の対象である神の存在そのものを、純粋な論理だけから導けないかと考えました。彼の『プロスロギオン』に登場する有名な議論はこうです。神とは「それより大なるものを考えることのできない或るもの」です。もしそれが頭の中にしか存在しないなら、現実にも存在するもののほうが大きい。したがって最大のものは現実にも存在せざるを得ない、と。
神の存在を概念分析だけから証明するこの試みは、存在論的証明と呼ばれ、長く議論の的になりました。デカルト、ライプニッツがこれを擁護し、カントが厳しく批判する、という形で近代まで生き続けます。証明の妥当性はさておき、信仰を理性で検証する大胆さそのものが、スコラ精神の象徴でした。
普遍論争:実念論と唯名論
スコラ哲学の最大の論争が、普遍論争です。「人間」や「赤」のような普遍概念は、個物とは別に実在するのか。プラトン的に、普遍は事物に先立って存在すると考えるのが実念論。これに対し、普遍は事物のあとに人間が付けた名前にすぎないと考えるのが唯名論です。
この一見抽象的な論争は、実は神学・科学・政治の根幹に関わる問いでした。たとえば「教会」という普遍が個々の信徒に先立って実在するなら、教会の権威は揺るぎません。「赤」という普遍が実在しないなら、自然界の分類は人間の便宜にすぎないことになります。14世紀のオッカムは唯名論の立場を徹底し、必要のない仮定は切り捨てよ、というオッカムの剃刀で知られる思考の節約原理を提唱しました。
あなたが「私の家族」「私の会社」と言うとき、その普遍はどこにありますか。一人ひとりの個人を超えたところに本当に何かがあるのでしょうか。
トマス・アクィナス:理性と信仰の大統合
13世紀、イスラム世界からヨーロッパにアリストテレスの全著作が流入し、知的世界を揺るがしました。論理学・自然学・倫理学・形而上学に及ぶこの巨大な体系を、キリスト教の信仰とどう接続するか。教会は当初これを警戒し、アリストテレスの読書を禁じる地域もあったほどです。
この課題に正面から取り組んだのが、ドミニコ会の修道士トマス・アクィナスでした。彼の未完の大著『神学大全』は、信仰と理性は矛盾せず、自然の光(理性)と恩寵の光(啓示)は同じ神に由来する二つの認識ルートなのだと説きました。アリストテレスの哲学を土台にしながら、その上にキリスト教神学を構築する、という壮大な統合です。次章では、このスコラ的綜合を可能にした、地中海を越えた知の交流を見ていきます。
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