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入門編 · 中世から近代の入口へ · 第22

イスラム哲学とユダヤ哲学

9世紀のバグダッド。アッバース朝のカリフがギリシャ語の写本しゃほんを金の重さで買い集め、知恵の館(バイト・アル・ヒクマ)に学者たちを集めて翻訳事業を行わせていました。当時の西ヨーロッパが知的に低迷していた時代、アラビア語圏では古代ギリシャの遺産が再生し、独自の哲学が花開きます。哲学史を西洋中心に語ると、この三百年の輝きが見えなくなってしまいます。

アリストテレスを繋いだ橋

ローマ帝国が崩壊した後、アリストテレスの著作の多くは西方では失われていました。しかしビザンツとシリアのキリスト教徒たちが写本を保存し、それがアラビア語に訳され、イスラム圏で精緻に注釈されていったのです。イスラム哲学者たちにとって、ギリシャ哲学とコーランの啓示をどう調和させるかは、後のスコラ哲学が直面したのと同じ大問題でした。

先駆者はキンディーやファーラービーで、彼らはプラトンとアリストテレスを総合的に読み解こうとしました。ファーラービーは「第二の師(アリストテレスに次ぐ)」と呼ばれ、理想国家論をプラトンの国家とイスラム共同体の理想を重ねて構想します。哲学が宗教と緊張しつつ共存する独特の伝統が、ここで芽生えていました。

イブン・シーナーとイブン・ルシュド

中央アジア出身のイブン・シーナー(ラテン名アヴィセンナ)は、医学と哲学の両面で巨人でした。彼の医学典範はその後数百年にわたりヨーロッパの医学教育の基本書となります。哲学では、本質と存在を区別し、必然存在としての神を論じる独自の形而上学を築きました。トマス・アクィナスもアヴィセンナを繰り返し参照しています。

12世紀のスペイン・コルドバに生まれたイブン・ルシュド(ラテン名アヴェロエス)は、アリストテレスの全作品に詳細な注釈を書き、ヨーロッパでは「注釈家」とだけ呼ばれるほどの権威となりました。哲学的真理と宗教的真理は表現の仕方が違うだけで両立する、という二重真理説に近い立場は、後のラテン・アヴェロエス主義として中世パリ大学を揺るがします。

ガザーリーの哲学批判と神秘主義

11世紀のペルシャに生まれたガザーリーは、ギリシャ哲学に深く通じた上で、その限界を内側から告発しました。著書哲学者の矛盾で、彼は哲学者たちが世界の永遠性や神の個別事物への無関心を主張するのは、信仰と相容れないと厳しく批判します。アヴェロエスは後にこれに矛盾の矛盾で反論しましたが、ガザーリーの影響でイスラム圏の哲学的活力は徐々に内面の探究へと向かっていきました。

そのガザーリー自身、論証だけでは魂の渇きを満たせず、最終的にスーフィズムと呼ばれる神秘主義の道に入ります。論理をきわめた末に論理の限界を見たという彼の歩みは、知性と信仰の関係をめぐる深い問いを残しました。哲学を批判しつつも、彼の議論はイスラム神学の中で哲学的方法を生かし続ける道を整えたとも言えます。

理屈で説明できるものと、理屈ではどうしても伝わらないもの。あなた自身の人生で、その境目はどのあたりにありますか。

マイモニデス:ユダヤ哲学の頂点

12世紀のコルドバに生まれたユダヤ人マイモニデスは、宗教迫害を逃れてエジプトに移り、サラディンの宮廷医を務めながら著述を続けました。代表作迷える者たちへの導きは、トーラーの教えとアリストテレス哲学をどう調和させるかを問う、ユダヤ哲学史上の最高峰の一つです。神の本質は人間の言葉では肯定的には語れず、否定形でしか接近できないという否定神学ひていしんがくを、彼は徹底しました。

イスラム哲学者・ユダヤ哲学者・キリスト教哲学者が同じアリストテレスのテキストを読み、互いに引用し合っていた地中海世界の知的風景は、現代から見ると驚くほど開かれたものでした。やがてレコンキスタと十字軍じゅうじぐんがこの交流を断ち、それぞれの伝統は別々の道を歩みます。次章では、論理を超えた経験を求めた中世のもう一つの流れ、神秘主義を見ていきます。

中世から近代の入口へ · 第22