『プロスロギオン』
アンセルムス·中世
「それ以上大きなものが考えられないもの」による神の存在証明
この著作について
ベック修道院長時代のアンセルムスが11世紀末に書き上げた、神学と哲学の境界を問い直す短い著作。
【内容】
全26章の小冊子。「信仰が求める知解(信じていることを、理性でも理解しようと試みる)」という精神のもと、神を「それ以上大きなものが考えられないもの」という一つの定義から出発し、そこから神のすべての属性を演繹しようと試みる。第2〜4章が有名な存在論的証明で、「そんなに大きなものが知性のうちだけに存在するなら、より大きな『実在するもの』を考えうるはずで矛盾する」と帰謬法で論じる。以降、善性・永遠性・遍在・正義・憐れみといった伝統的属性が同じ定義から引き出され、最後は神秘への観想で閉じる。
【影響と意義】
発表直後から同時代の修道士ガウニロが「愚か者のための弁」で反論し、アンセルムスの応答と合わせて哲学的論争の典型となった。のちにデカルト、スピノザ、ライプニッツが類似の証明を立て、カントが厳しく批判し、ヘーゲルが擁護したことで、本書の定義は西洋形而上学の基本語彙として定着した。
【なぜ今読むか】
短い章ごとに一つずつ論点を積み上げる平明な文体と、「最大のもの」を相手にした大胆さが同居する。論証を組み立てる思考訓練として、哲学に初めて触れる人にとっても格好の入口になる。
さらに深く
【内容のあらまし】
序文でアンセルムスは執筆動機を告白する。先行作『モノロギオン』では神の存在と諸属性を多くの論証を積み重ねて示したが、それを「ただ一つの議論」で示せないかと長らく思案していた。ある朝の祈祷中にその議論が降ってきた、と。本書は神に呼びかける祈りの形式で書かれ、思索が祈りと一体になっている点が特徴的である。
第1章は信仰者の独白で、罪に沈んで神の顔を求める魂の嘆きが綴られる。「わたしは理解するために信じる」という有名な定式がここに置かれる。第2章で核心の論証が始まる。神とは「それより大きなものが考えられないもの」である。愚か者でさえこの語を聞けばその意味を理解する。だからこの「最大のもの」は少なくとも知性のうちに存在する。しかしもし知性のうちにのみ存在するなら、実在もするものを考えることが可能になり、それは定義より大きいことになって矛盾する。ゆえに神は実在する。
第3章では論証が一段強められる。神は「存在しないことを考えることもできない仕方で」存在する。ある対象が存在しないと考えうるなら、その対象より「存在しないと考ええない対象」のほうが大きい。よって最大のものは必然的に存在する。第4章は、では『詩篇』のいう「神は存在しない」と心に言う愚か者は何を考えているのかという反問に応え、語の意味を理解しているだけで対象そのものを思考していない場合があると区別する。
第5章以降は同じ定義を回し続ける章となる。最大のものであるなら、感覚するより感覚を超えていると同時に全感覚であるはずだ、全能であるためにこそ嘘や悪をなしえないはずだ、正義であると同時に憐れみ深くあるはずだ。第18章以降は神の単純性と永遠性、第22章では神は「あるところのもの」であって時間を持たないことが説かれ、最終章では神を見ることの喜びが満ちる至福の観想で結ばれる。
著者
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