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入門編 · 中世から近代の入口へ · 第20

古代から中世へ:信仰の登場

紀元410年、永遠の都ローマが西ゴート族に略奪されたという報せが地中海世界を駆け巡りました。千年続いた都の崩壊は、当時の人々にとって世界の終わりに等しい衝撃でした。哲学はこのとき大きな課題を抱えます。古代ギリシャ・ローマの理性が築いてきた世界像と、すでに公認宗教となっていたキリスト教の信仰を、どう一つの体系の中で結び合わせるか。

ローマ帝国とキリスト教の興隆

紀元1世紀のパレスチナで生まれた小さな信仰は、迫害を耐えながら帝国全土に広がり、313年のミラノ勅令で公認されました。392年にはテオドシウス帝がついに国教化します。かつて殉教者じゅんきょうしゃを生んだ宗教が、わずか数世代で帝国の宗教そのものになったのです。哲学的にも、ギリシャ起源の概念群とヘブライ起源の信仰内容をどう接続するかが緊急の課題になりました。

この媒介を担ったのが、3世紀のエジプト出身のプロティノスを祖とする新プラトン主義でした。プラトンの善のイデアを「一者」として捉え直し、そこから知性・魂・物質が段階的に流出するという壮大な体系は、キリスト教の神学者たちが神を哲学的に語るための語彙を提供しました。

アウグスティヌス:放蕩から改宗へ

北アフリカのタガステに生まれたアウグスティヌスは、若い頃は放蕩ほうとうと野心に明け暮れる秀才でした。修辞学しゅうじがくの教師としてミラノに移り、地中海世界の知識をひと通り吸収したのち、32歳のときに庭で「取りて読め」という子どもの声を聞き、聖書を開いて回心かいしんします。彼自身が書いた告白は、世界文学史上初の本格的な内面の自伝とも言われます。

彼の哲学の出発点は、徹底した自己観察でした。私が私自身に問いかける、その問いかける主体は確かに存在する。後のデカルトのコギトを千年以上先取りしたとも言える論証を、アウグスティヌスは信仰の文脈の中で展開していたのです。

原罪・恩寵・時間:内面の哲学

アウグスティヌスは人間を悲観的に見ました。アダムの堕落以来、人間は自分の力では善を選べない原罪げんざいを背負っている、と。にもかかわらず人が救われうるのは、神の一方的な恩寵おんちょうによるほかありません。この見方は、自由意志をどこまで認めるかという議論を生み、後にルター宗教改革にまで響くことになります。

時間論も彼の独創でした。「時間とは何か。問われなければ知っている。問われると答えられない」という有名な一節は、時間が外的な物差しではなく、心が過去を記憶し未来を期待する内面の延長なのだという発見へと向かいます。客観的な世界の構造ではなく、魂の内側の構造を見つめる哲学が、ここで本格的に始まりました。

あなたが過去を思い出すとき、その過去はどこにあるのでしょうか。記憶しているのは、過去そのものですか、それとも今の自分が描いた過去ですか。

神の国と地の国

ローマ陥落のあと、異教徒たちは「キリスト教を国教にしたから帝国が滅んだのだ」と非難しました。アウグスティヌスはこれに大著神の国で応答します。歴史には目に見える地上の国家と、目に見えない神の国の二つの流れが並行しており、地の国の興亡は最終的なものではない、と。

この壮大な歴史哲学によって、世俗の権力と教会の権威の関係をどう考えるかという中世の根本問題に、最初の枠組みが与えられました。アウグスティヌスの思想は、続く千年にわたって西方教会の知的背骨せぼねとなります。次章では、ゲルマン諸民族の侵入と封建社会の混乱を経て、修道院から大学が生まれ、再び理性が信仰と本格的に向き合う時代を見ていきます。