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入門編 · 近代哲学の展開 · 第28

大陸合理論:スピノザとライプニッツ

17世紀後半のアムステルダム、職人街の小さな部屋で、一人の男がレンズを磨いていました。ガラスの粉塵を吸い込みながら糊口ここうをしのぐこの職人が、ヨーロッパの神学者と王侯から「危険人物」と恐れられた哲学者だと知る隣人は少なかったでしょう。同じころ、ハノーファーの宮廷では、外交官・数学者・図書館長を兼ねた万能の天才が、ライプチヒからパリ、ロンドンを駆け巡り、頭の中で万物の調和を組み立てていました。

スピノザ:神即自然と決定論

ユダヤ人共同体から破門されたオランダの哲学者スピノザは、デカルトの「思惟と延長は別の実体」という二元論に納得していませんでした。彼がエチカで展開した答えは大胆です。実体はただ一つしかありません。それを彼は「神あるいは自然」と呼びました。

私たちが心と呼ぶものも、物体と呼ぶものも、この唯一の実体の二つの異なる現れにすぎません。神は世界の外にいる人格的な創造主ではなく、自然そのものとして在り続ける無限の実体です。この考えは当時の正統神学にとって冒涜的ぼうとくてきでした。けれども同時に、自然のなかに神聖さを見出す近代的な感受性、そして自然全体を一つの法則に貫かれた体系として捉える科学的世界観を、深いところで準備していたのです。

必然性のなかの自由

スピノザの世界には偶然がありません。すべては神の本性から幾何学的必然性で導かれる。すると人間の自由はどうなるのか、と私たちは身構えます。彼の答えは逆説的です。自由とは「外的な強制から解放されて気ままに振る舞うこと」ではありません。それは無知のしるしにすぎません。本当の自由とは、自分を含めた自然全体の必然的な連鎖を理解すること、そしてその理解のもとで生きることです。

『エチカ』の最終巻で彼が語る「神への知的愛」は、この理解の極限にある境地です。怒りや嫉妬といった受動感情に振り回される代わりに、自分がなぜそう感じているのかをまるごと見通すこと。スピノザの倫理は、現代の認知療法やマインドフルネスにも遠い影を落としています。

ライプニッツ:モナドと予定調和

一方、ニュートンと独立に微積分法びせきぶんほうを発見した万能の天才ライプニッツは、別の方向へ向かいました。スピノザのように世界を一つの実体に還元するのでなく、無数の実体を認める。それがモナドロジーのモナドです。

モナドとは窓を持たない単純な実体で、互いに直接作用し合うことはありません。にもかかわらず、宇宙のすべてのモナドはあらかじめ調律された時計のように、神によって調和的に動くよう設計されている。これが予定調和説です。一見奇妙な世界観ですが、その背後には「個体性をどう保ちながら全体の秩序を説明するか」という近代の主題が脈打っています。あなたという個人もまた、宇宙全体を独自の視点から映し出す一つのモナドだ、というのです。

もし世界の出来事すべてが必然だとしたら、あなたが「自由に選んだ」と感じる今日の決断は、どんな意味で自由なのでしょうか。

可能世界と最善世界論

ライプニッツはさらに、神が世界を創造する前に「あらゆる可能世界」を見渡した、と考えました。そのうえで神は、もっとも完全な秩序を持つ世界、つまり「最善の世界」を選んで現実化した。だから今ある悪や苦しみも、それなしでは全体の善が成り立たない不可欠な影なのだ、というのが彼の弁神論べんしんろんです。

この楽観論は、半世紀後にヴォルテールからカンディードで痛烈に皮肉られることになります。リスボン大地震で何万人もの命が一瞬で失われた時代に、これが本当に最善の世界かと。とはいえ「可能世界」というアイデア自体は、二十世紀の様相論理ようそうろんり分析哲学のなかで現代的に蘇りました。次章では、海峡を渡って、この合理論に正面から挑んだ経験論者たちの仕事を見ていきます。