『エチカ』
スピノザ·近代
幾何学的方法で神・自然・人間を論じた形而上学の傑作
この著作について
アムステルダムのユダヤ人共同体から破門されたスピノザが生涯をかけて書き上げ、死後17世紀末に友人たちによって公刊された合理主義哲学の到達点。
【内容】
「幾何学的順序で論証された倫理学」という副題の通り、ユークリッド『原論』にならって定義・公理・定理・証明の形式で全編が組み立てられる。全5部構成で、第1部では神と自然を同一視する一元論が展開され、第2部は心身を同じ実体の二つの表れとみなす認識論、第3部は情動の自然学、第4部は感情に束縛された人間の姿、第5部は知性によって自由に至り「神への知的愛」へ到達する道筋を論じる。神を人格ではなく「能産的自然」として捉える視点が全体を貫く。
【影響と意義】
生前は「無神論者」として非難されたが、18世紀末ドイツの汎神論論争を機に再評価が始まった。ゲーテ、ヘーゲル、ニーチェ、アインシュタインが深く敬愛し、20世紀後半にはドゥルーズやネグリが現代哲学の中心に引き戻している。宗教と科学の対立が深まる時代に、両者を調停する形而上学を提示した点で画期的だった。
【なぜ今読むか】
形式の厳格さと、そこから滲み出る存在肯定の強い響きとの対比が独特。理性と感情、自由と必然の関係を根本から問い直したいときに開ける、静かで強い一冊。
さらに深く
【内容のあらまし】
本書は通常の哲学書のように章立てで進まない。各部はまず定義と公理を置き、そこから定理を一つずつ証明していく。証明には先行の定理番号が引用され、読者は数学の教科書を読むように先頭から積み上げて読まねばならない。
第1部「神について」は実体・属性・様態という三つの定義から出発する。実体とは「自己のうちにあり自己によって考えられるもの」と定義され、その定義の厳密な適用から、実体はただ一つしかなく、それが神あるいは自然である、という結論が機械的に導かれる。神は無限の属性を持ち、人間にはそのうち延長と思惟だけが知られている。神は世界を超越して創造したのではなく、自然法則そのものとして世界に内在する。「能産的自然」と「所産的自然」の区別がここで導入される。
第2部「精神の本性と起源について」では、観念は脳のなかの絵ではなく延長属性の出来事に並行する思惟属性の出来事だと位置づけられる。心と体は同じ実体の異なる属性での表現であって、相互に作用するわけではない。誤謬は積極的な間違いではなく、十分な観念を欠いていることに由来する欠如である。
第3部「感情の起源と本性について」では、人間の感情を幾何学的に分析する。個物が自分の存在を維持しようとする努力をスピノザは「コナトゥス」と呼ぶ。コナトゥスが増大する経験が喜びであり、減退する経験が悲しみである。愛は外的原因をともなう喜びであり、憎しみは外的原因をともなう悲しみである。すべての複雑な感情はこの三つから幾何学的に派生する。
第4部「人間の隷従について」は、感情に支配された人間の悲惨を扱う。受動感情に振り回されている限り、人は自由ではない。自由人は他人の悪意を悪意で返さず、迷信に頼らず、死を最も少なく考える、というモラルがここに置かれる。
第5部「知性の力について」は救済論にあたる。人は感情を理解することで感情に作用しうる。感情を「永遠の相のもとに」、つまり必然性の連鎖のうちに見通すとき、それは受動から能動へ転じる。最高の認識である「第三種の認識」によって個物のうちに神を見出した人は、神への知的愛に達し、これは神自身が自己を愛する愛と同じものである。永遠とは時間の延長ではなく、個物が神のうちに含まれている永遠の相である。「至福は徳の報酬ではなく徳それ自体である」という最終定理で書は閉じられる。