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入門編 · 近代哲学の展開 · 第29

イギリス経験論:ロックからヒュームへ

17世紀後半のロンドン、政治の動乱を逃れてオランダに亡命していた医者上がりの哲学者が、ようやく帰国の船に乗っていました。荷物のなかには二十年かけて書き上げた分厚い原稿が一束。「人間の知性はどこまで及ぶのか、その限界はどこにあるのか」という問いに、生涯を賭けて答えようとした書物です。これが人間知性論、著者はロックでした。

ロック:心は白紙の書板である

ロックは大陸の合理論者たちに正面から異を唱えます。生まれつき備わった観念などありません。人間の心はもともと白紙、いわばタブラ・ラサです。そこに経験が外から文字を書き込み、内から内省が文字を書き込む。すべての観念は、感覚と内省という二つの泉から湧いてきます。

この素朴に見える主張には、大きな含意がありました。もし生得観念がないなら、王権神授説おうけんしんじゅせつのような「生まれながらに与えられた政治秩序」も、根拠を失う。人間は皆同じ白紙から出発するのだから、社会のあり方も理性で考え直してよいことになります。経験論は同時に、自由と平等の政治思想とも結びつく可能性を秘めていました。

ロックは、対象に本当に備わる第一性質(形・大きさ・運動)と、私たちの心の側に生じる第二性質(色・音・匂い)を区別し、外界そのものは数学的に記述できる物体の世界だと考えました。彼の議論は穏当に見えますが、後継者たちはこの区別を一段ずつ崩していくことになります。

バークリー:存在することは知覚されること

アイルランドの聖職者バークリーは、ロックの議論を徹底させました。色や音が心の中にしかないのなら、形や大きさだって私たちが知覚しているにすぎないのではないか。物体に第一性質を残すロックの線引きには根拠がありません。

そこから彼が引き出した結論は劇的です。Esse est percipi、存在するとは知覚されることです。私たちが「物体」と呼んでいるものは、観念の束にほかなりません。誰も見ていない部屋の机は本当にあるのか、と詰め寄られたバークリーは、神が常にそれを知覚しているから存在し続けるのだ、と答えました。経験論を一歩進めると、世界そのものが心的なものに変貌する。観念論への道がここで開きます。

ヒューム:因果律への根本的批判

スコットランドのヒュームはさらに先まで進みました。ビリヤードの白球が赤球に当たり、赤球が動き出す。私たちはこれを「白球が赤球を動かした」という因果関係として見ます。けれども、ヒュームは問いかけます。実際に観察できるのは、二つの出来事が時間的・空間的に近接して連続したという事実だけではないか。

原因と結果のあいだに「必然的な結びつき」が見えるのは、私たちが何度も同様の連鎖を経験して習慣として期待するようになったからにすぎません。太陽が明日も昇るという確信ですら、論理的に証明できるわけではなく、過去の規則性から外挿がいそうされた心の習慣です。経験論を徹底すると、自然法則の必然性そのものが揺らぎ、知識の基礎が砂になっていきます。

あなたが「これが原因で、これが結果だ」と確信していることを一つ思い浮かべてください。その必然性は、何度の経験から組み立てられているでしょうか。

経験論はどこへ向かうか

ロックが穏やかに開いた経験論は、バークリーの観念論を経て、ヒュームの徹底した懐疑にまで展開しました。自我もまた、知覚の束にすぎないとヒュームは言います。連続した「私」という実体は、経験のなかには見つかりません。

この結論はあまりに過激でした。後にカント純粋理性批判のなかで「ヒュームが私を独断のまどろみから目覚めさせた」と書き、合理論と経験論の対立そのものを乗り越える道を探すことになります。しかし、経験論が残したのはこの認識論的革命だけではありません。ロックの政治思想は別の方向にも流れ込み、社会のあり方そのものを変えていきました。次章では、その流れを社会契約論として追いかけます。