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専門編 · 20世紀の哲学者たち · 第74

レヴィナス:他者の顔から始まる倫理

1945年5月、ドイツの捕虜収容所から戻ったエマニュエル・レヴィナスは、リトアニアに残してきた家族の運命を知ります。父、母、二人の弟、その妻と子。すべてホロコーストで殺害されていました。生き延びたのは妻ライサと娘シモーヌのみで、彼女らはパリの修道院に匿われていた。本章は、この沈黙の喪失から立ち上がった倫理の哲学を辿ります。

ハイデガーへの幻滅 — 1933年の決定的な裂け目

1928年、22歳のレヴィナスはフライブルクに留学し、フッサールハイデガーから直接学びました。当時のフランスでは、彼が現象学の最初の紹介者の一人になります。1930年の博士論文フッサール現象学の直観理論サルトルがフッサールに出会うきっかけにもなった重要な著作でした。

すべてが変わったのは1933年です。ハイデガーがフライブルク大学長としてナチス政権を支持する就任演説を行ったとき、レヴィナスは深い衝撃を受けます。最も尊敬そんけいしていた師が、最も恐れていた政治と接続した。後に彼は書きます。「ハイデガーを許すことはできるかもしれない。しかし忘れることはできない」。哲学そのものが暴力に荷担かたんしうる可能性が、彼の思考を根本から変えました。

『全体性と無限』 — 同一性の暴力への批判

1961年、56歳になってから出版した最初の哲学的主著全体性と無限は、副題に「外部性についての試論」を掲げ、西洋哲学を「全体性(totalité)」の哲学として一括して批判します。プラトンのイデア、ヘーゲルの絶対精神、ハイデガーの存在了解、これらはすべて多様なものを一なる全体に回収しようとする運動であり、その過程で他者は「同じもの」の契機けいきに還元されてしまう。

レヴィナスの提案は、決して全体に回収されえない「無限(infini)」の経験として他者を提示することでした。彼にとって他者とは、私の認識や意図の内側に包摂ほうせつされえない、絶対的に外部からくる呼びかけです。哲学は知の体系である前に、この呼びかけへの応答でなければなりません。「倫理は第一哲学である」という有名なテーゼがここに刻まれています。

顔の倫理 — 「殺すなかれ」の命令

レヴィナス哲学の核心概念が「顔(visage)」です。他者の顔とは、目鼻の物理的配置ではなく、私をはだかの責任の前に立たせる現出様式げんしゅつようしきです。顔は私に「なんじ、殺すなかれ」と命じる。それは命令される前から命じている。顔は弱さと裸性らせいにおいて現れ、まさにその弱さによって私を捉え、私を倫理的主体として召喚するのです。

倫理は私が自由に選び取る規範ではありません。私が自由意志を持つ以前から、すでに他者によって課されている。「私の自由は他者の顔の前で恥ずかしがる」という独特の表現は、自由を自己起源とする近代主体論への根本的な転倒です。難民の顔、路上の物乞ものごいの顔、テレビ画面の死者の顔。私たちが彼らから目を逸らすときに感じるあの罪悪感は、レヴィナスによれば偶発的な感情ではなく、倫理の根源的構造です。

人質と無限の責任 — デリダへの遺産

1974年の存在するとは別の仕方で、あるいは存在することの彼方へは、初期の語彙をさらに過激化させた後期の主著です。レヴィナスはここで「人質ひとじち」「身代みがわり」「迫害はくがい」といった激しい語彙ごいを導入し、主体の根源的な受動性を描きます。私は他者の苦しみに対して、自分が原因でないにもかかわらず責任を負っており、その意味で「他者の人質」となっている。

1995年12月、89歳で他界した彼の葬儀で、ジャック・デリダ弔辞ちょうじを述べました。「彼の名はもはや一つの単語ではなく、思考そのもののあり方を指し示す」。デリダの歓待論、ジュディス・バトラーの倫理的暴力論、現代の難民論や応用倫理に至るまで、レヴィナスの遺産は広範に伸びています。次章では、同じ20世紀フランスで権力の問題を別の角度から問うた、フーコーに進みます。