『時間と物語』
じかんとものがたり
リクール·現代
時間経験と物語の関係を解釈学的に分析した大著
この著作について
ポール・リクールが1983〜85年に公刊した全3巻の哲学的大著で、解釈学と物語論を結び合わせた晩年の代表作。
【内容】
リクールはアウグスティヌスの時間論とアリストテレス『詩学』のミュトス(筋)論を出発点に、人間が経験する時間は物語的構成を経て初めて意味を持つと論じる。歴史記述、フィクション小説、現象学的時間論を往還しながら、過去・現在・未来を関連づける働きとしての「三重のミメーシス」(前形象化・形象化・再形象化)を展開する。さらに第3巻ではハイデガーとフッサールの時間論を批判的に継承しつつ、記憶、予期、歴史意識をめぐる独自の立場を示した。
【影響と意義】
物語論と歴史哲学を接続した代表作として、文学理論、歴史学方法論、心理療法におけるナラティブ論など広い領域に影響を与えた。自己理解を「自分を物語ること」として捉える現代の自己物語論にも直接の源流となっている。
【なぜ今読むか】
自分の人生を意味あるものとして理解するために、人はなぜ物語を必要とするのか。ライフストーリー、闘病記、キャリア語りなどを深く考える読者に、強固な理論的土台を提供してくれる。
さらに深く
【内容のあらまし】
本書は三巻構成で、時間と物語という二大主題を循環的に往還する。第一巻冒頭でリクールはアウグスティヌス『告白』第十一巻と、アリストテレス『詩学』を並べて読む。アウグスティヌスは時間を「魂の延びひろがり」と捉え、過去・現在・未来は実在するのではなく、記憶・注視・期待という心の働きとして現れると論じた。一方アリストテレスは、悲劇の本質を「行為の模倣」つまりミュトス(筋立て)に見いだし、出来事を始め・中・終わりに整える筋の力を論じた。リクールは、時間の謎は概念だけでは解けず、物語による形作りを経て初めて人間の経験となると主張する。
ここで彼は「三重のミメーシス」という独自の枠組みを提示する。第一段階は前形象化で、人間は日常生活ですでに時間的な意味の地平に住んでいる。第二段階は形象化、すなわち作家や歴史家が筋立てを与えて雑多な出来事を統一する作業。第三段階は再形象化、読者が作品を読むことで自分の生を新たに了解し直す瞬間である。リクールはこの構造を、歴史叙述と虚構物語という二つの対極を行き来しながら検証していく。
第二巻は虚構の領域に分け入る。ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』、トーマス・マン『魔の山』、プルースト『失われた時を求めて』が精読される。一日のロンドンの時間、サナトリウムの停滞した時間、記憶が現在を貫く時間。フィクションは時間の多重性を可視化し、語り手と語られる時間の差異から豊かな響きを引き出す。歴史記述が因果と検証の制約のもとで時間を扱うのに対し、フィクションは時間そのものを変奏する。
第三巻はハイデガー『存在と時間』との対話を中心に、現象学的時間と宇宙論的時間の隔たりを問う。両者を媒介するのは暦と時計、世代の継承と痕跡といった「物語的同一性」の装置である。リクールはここで自己理解を、自分の人生を物語として語り直す活動として位置づけ直す。終章で彼は、物語が時間の謎を解消するのではなく、ただ生きうるものに変えるのだと結ぶ。物語の限界をわきまえた誠実さが、本書の倫理的な響きを支えている。
著者
関連する哲学者と話してみる
