『告白』
こくはく
アウグスティヌス·中世
西洋初の自伝的著作にして内面探究の出発点
この著作について
ヒッポの司教アウグスティヌスが4世紀末に著した、西洋思想史上初の本格的な内面自伝。
【内容】
全13巻。神への祈りの文体で綴られ、幼少期のいたずら、マニ教への傾倒、カルタゴとローマでの修辞学教師としての生活、ミラノでのアンブロシウス司教との出会いと回心、母モニカの死までの半生が第9巻まで回想される。第10巻では書いている今の自己の記憶と認識を分析し、第11巻以降は『創世記』冒頭を手がかりに時間・創造・永遠をめぐる哲学的・神学的考察に転じる。
【影響と意義】
古代には「自分を語る」文学の形がほとんど存在しなかった時代に、内面の揺れ動きをそのまま言葉にするという書き方が発明された。この衝撃は大きく、中世の霊性文学、ルソー『告白』、近代の自伝文学や精神分析、現代の実存主義へとつながる系譜の源流となった。「時間とは何か」という第11巻の問いは、のちのフッサールやハイデガーの時間論にも引き継がれている。
【なぜ今読むか】
ミラノの庭で子どもの声を聞き『ローマの信徒への手紙』を開いて人生が変わる回心の場面は、1600年後の今読んでも息を呑む。自分の過去を語り直すとはどういうことか、という普遍的な問いに向き合いたいときに開きたい古典。
さらに深く
【内容のあらまし】
本書は最初の一文から神への呼びかけで始まる。「あなたは偉大であり、大いに讃えらるべき方である」。読者を相手に書かれているのではなく、神に向けた長大な祈りの形式が貫かれる。第1巻では幼児期が回想される。乳房を求めて泣くこと、ラテン語より遊びを好んだこと、文法学校で受けた体罰、そしてアエネアスの物語に涙しながら自分の魂の状態には涙しなかった少年時代の倒錯が告白される。
第2巻の梨盗みの場面は本書のなかでも特に有名だ。十六歳のアウグスティヌスは仲間とともに隣家の梨を盗む。空腹だったわけでも梨が美味だったわけでもなく、ただ盗みそのものが楽しかった。なぜ自分は単に悪を悪として愛したのか。この小さな出来事の解明に長い分析が費やされ、悪の魅力の正体が問い詰められる。第3巻ではカルタゴでの修辞学修行とマニ教への入信、第4巻では無名の友の死による激しい喪失が語られる。第5巻でローマへ、そしてミラノへと活動の場が移っていく。
第6巻から第7巻にかけて、ミラノ司教アンブロシウスの説教を聴き、新プラトン主義の書物を読み、それまでの懐疑が次第に解けていく過程が記される。物質を超えた精神的実在というプラトン的発想を得たことで、神を物質的に思い描く誤りから抜け出す。第8巻が回心の場面である。同郷出身で宮廷に仕えるポンティキアヌスから砂漠の修道士の話を聞いて深く揺さぶられたアウグスティヌスは、ミラノの庭の無花果の木の下で泣き伏す。隣家から子どもの「取って読め、取って読め」と歌う声が聞こえ、聖書を開くと「飲酒や淫蕩を捨て、主イエス・キリストを身にまとえ」という箇所が目に飛び込む。長年の迷いがその一瞬に解ける。
第9巻では洗礼、母モニカとオスティアでの神秘的体験、そして母の死が静かに描かれる。第10巻からは過去の物語ではなく、書いている現在の自己分析に転じる。記憶という広大な内的空間の探究、五感の誘惑、好奇心や名誉欲との闘いが綴られる。第11巻からは『創世記』冒頭の注解の形をとりつつ、時間とは何かが問われる。過去はもはやなく、未来はまだなく、現在は瞬く間に過ぎる。「時間とは何か。誰も問わなければ知っている、問われると知らない」という有名な一節が現れる。最終第13巻は天と地の創造の象徴的解釈を経て、神の安息へと向かう祈りで全巻を閉じる。