「人間を手段としてのみ扱うな、常に同時に目的として扱え」
カント近代
カントが『人倫の形而上学の基礎づけ』で示した、人間性を単なる手段として扱うことを禁じる定式。
この言葉について
人間は単なるモノのように利用されてはならず、常にそれ自体が目的である尊厳ある存在として扱われるべきだという原理である。
【背景】
カントが『人倫の形而上学の基礎づけ』(1785年)で示した定言命法の第二定式である。人間の尊厳(ヴュルデ)に基づく倫理学の核心をなす。
【解釈】
カントが禁じたのは、相手を自分の利益のための道具としてだけ扱い、その人自身を目的として尊重しないことである。理性的存在である人間は、何ものにも代えられない尊厳を持つ。
【現代への示唆】
人権の哲学的基盤として今も生きている。ブラック企業や人身売買など、人間を単なる手段として扱う問題を批判する根拠となる。
さらに深く
【出典】
カント本人の文である。『人倫の形而上学の基礎づけ』(1785年)に「Handle so, daß du die Menschheit sowohl in deiner Person, als in der Person eines jeden andern jederzeit zugleich als Zweck, niemals bloß als Mittel brauchst」とある。訳せば「あなた自身の人格のうちにも、ほかのあらゆる人の人格のうちにもある人間性を、常に同時に目的として扱い、決して単に手段としてのみ扱わないように行為せよ」となる。カントはその根拠として、理性的な本性は目的それ自体として存在すると述べる。これは「人間性の定式」と呼ばれる、定言命法の定式の一つである。
【よくある誤解】
見出しの「のみ」は読み落とされやすく、人を手段として使うこと自体が禁じられていると受け取られがちである。現代の解説が指摘するように、食べ物も衣服も多くの人の能力を通じて手に入る以上、他人を手段として用いることは避けられない。タクシーの運転手を移動の手段にするのはかまわないが、馬とは違って、その人の人間性を同時に目的として扱わねばならず、合意した料金を払うことはその一例である。また対象は他人に限られない。自分自身の人格の中の人間性も含まれ、カントは、耐えがたい状態から逃れるための自殺を、自分の人格を単に手段として扱うものとして退けた。さらに注で、「自分がされたくないことを人にするな」という黄金律はこの原理の代わりにならないと明言している。
【この言葉のその後】
同じ形の原則は、ドイツの憲法の中心にも置かれている。ドイツ基本法は第1条第1項で「人間の尊厳は不可侵である」と定める。連邦憲法裁判所は、人間の尊厳を尊重し保護する義務は、人を国家の単なる客体にすることを原則として禁じると、過去の判例を引きながら述べてきた。2006年2月15日の判決では、人の命を奪う武器として使われる航空機を撃墜する権限を定めた航空安全法の規定を無効とし、乗っている乗員と乗客は、他者を守るための救助活動の中で国家によって単なる客体として扱われることになると述べた。判決文はカントの名を挙げていないが、人を単なる手段や物として扱うことを拒む点で、カントの定式と同じ形をしている。
この言葉を残した人物
カントのほかの名言
「道徳」の名言
「不正を行うよりも、不正を受ける方がよい」
プラトンが対話篇『ゴルギアス』に記した、ソクラテスが不正を行うことこそ最大の悪だとして語る言葉。
「正義の原理は、無知のヴェールの背後で選ばれる」
ロールズが『正義論』で、正義の原理を選ぶ人々から自分の立場の知識を奪う仕掛けを述べた一文。
「悪の凡庸さ」
アーレントが『エルサレムのアイヒマン』の副題に掲げ、アイヒマンの人柄と動機を言い表した言葉。
「力を正当に行使できる唯一の目的は、他人への危害を防ぐことである」
ミルが『自由論(ミル)』で、社会が個人に強制を加えてよい唯一の理由を示した危害原理の一文。
「徳とは二つの悪徳の中間にある」
アリストテレスが『ニコマコス倫理学』で、徳を過剰と不足という二つの悪徳の中間と定めた言葉。
「最大多数の最大幸福」
ベンサムが『統治論断片』の序文で、正と不正の尺度として掲げた功利主義の標語。