「不正を行うよりも、不正を受ける方がよい」
ソクラテス古代
プラトンが対話篇『ゴルギアス』に記した、ソクラテスが不正を行うことこそ最大の悪だとして語る言葉。
この言葉について
さらに深く
【出典】
ソクラテス自身は何も書き残しておらず、この言葉は、プラトンの対話篇『ゴルギアス』の中で登場人物のソクラテスが語るものである。弁論家ゴルギアスの弟子ポロスとの問答で、ソクラテスは、不正を行うことこそ最大の悪だと言う。驚いたポロスに、では不正を行うより受けるほうを望むのかと問われ、「βουλοίμην μὲν ἂν ἔγωγε οὐδέτερα(ブーロイメーン・メン・アン・エゴーゲ・ウーデテラ、わたしとしてはどちらも望まない)。しかし不正を行うか受けるかのどちらかが避けられないなら、行うより受けるほうを選ぶだろう」と答える(469c)。直前では、不正に人を殺す者は哀れであり、不正に殺される者はその殺す者ほど哀れではないと述べている。
【よくある誤解】
この言葉は、損をしても黙って耐えよという忍従のすすめとして読まれがちだが、先の答えのとおり、ソクラテスは不正を受けることを善いと言ったのではない。主張は二つの悪の比較であり、不正を行う者のほうがいっそう哀れだという点にある。この主張は聞き手の強い反発を呼ぶ。対話の後半でソクラテスは、多くの人が自分と意見を違えるほうが、自分ひとりが自分自身と調子が合わず、自分に矛盾するよりはましだと語る(482c)。これを受けてカリクレスは、不正を受けるのは男のすることではなく哀れな奴隷のすることだと言い放つ(483a)。
【この言葉のその後】
同じ考えは、プラトンの『クリトン』でもソクラテスの口から語られる。死刑の執行の1日か2日前、幼なじみのクリトンが脱獄を勧めると、ソクラテスは、不正はそれを行う者にとって必ず悪であり恥であるから、決して不正をしてはならず、世間の考えに反して、不正を受けても不正で仕返ししてはならないと答える。20世紀には、ハンナ・アーレントが『エルサレムのアイヒマン』の後、考えることと道徳の関係を問い直す中で、『ゴルギアス』の二つの命題を手がかりにした。不正を行うより受けるほうがよいという命題と、自分自身と不調和であるより多くの人と食い違うほうがよいという命題である。
この言葉を残した人物
ソクラテスのほかの名言
「道徳」の名言
「正義の原理は、無知のヴェールの背後で選ばれる」
ロールズが『正義論』で、正義の原理を選ぶ人々から自分の立場の知識を奪う仕掛けを述べた一文。
「悪の凡庸さ」
アーレントが『エルサレムのアイヒマン』の副題に掲げ、アイヒマンの人柄と動機を言い表した言葉。
「汝の意志の格率が常に普遍的立法の原理として妥当するよう行為せよ」
カントが『実践理性批判』で純粋実践理性の根本法則として示した、定言命法の定式。
「力を正当に行使できる唯一の目的は、他人への危害を防ぐことである」
ミルが『自由論(ミル)』で、社会が個人に強制を加えてよい唯一の理由を示した危害原理の一文。
「徳とは二つの悪徳の中間にある」
アリストテレスが『ニコマコス倫理学』で、徳を過剰と不足という二つの悪徳の中間と定めた言葉。
「最大多数の最大幸福」
ベンサムが『統治論断片』の序文で、正と不正の尺度として掲げた功利主義の標語。