「力を正当に行使できる唯一の目的は、他人への危害を防ぐことである」
ミル近代
ミルが『自由論(ミル)』で、社会が個人に強制を加えてよい唯一の理由を示した危害原理の一文。
この言葉について
さらに深く
【出典】
ミル本人の文で、『自由論(ミル)』(1859年)第1章「序論」にある。原文は「That the only purpose for which power can be rightfully exercised over any member of a civilised community, against his will, is to prevent harm to others」で、訳せば「文明社会のどの成員に対しても、本人の意に反して権力を正当に行使できる唯一の目的は、他人への危害を防ぐことである」となる。見出しの文はこれを縮めたものである。ミルはこの原理を、社会が強制と統制というかたちで個人に関わるやり方を絶対的に律するものとして掲げた。本人だけに関わる部分では、個人の独立は権利として絶対的であり、自分自身、自分の身体と精神に対して個人は主権者だとも書いている。
【よくある誤解】
危害原理を「人を害するな」という個人への戒めと受け取るのは正確でない。これは社会が個人に強制を加えてよい範囲を定める原理である。逆に、他人に害を与えれば必ず介入してよいわけでもない。ミルは同書第5章で、正当な目的を追うなかで必然的に他人に苦痛や損失を与える場合を挙げ、他人の利益への損害だけが社会の介入を正当化しうるからといって、損害があれば常に介入が正当化されるわけではないと断っている。なお、害の禁止を正義と結びつけたのは別の本である。ミルは『功利主義論』第5章で、互いを傷つけることを禁じる道徳規則は、人間の幸福にとって他のどんな格率よりも欠かせず、主としてこうした道徳が正義の義務をなすと書いた。
【この言葉のその後】
ミルの危害原理は、法による道徳の強制をどこまで認めるかという問いへの答えとして、その後の論争の軸になった。1960年代、『法の概念』の著者ハートは、行為が不道徳だというだけで法的に処罰してよいのかを問い、論争相手のデブリン卿に「法的道徳主義者」という呼び名を与えた。ハートはミルの原理に大きな修正を加えて採り入れ、その後ジョエル・ファインバーグやジョセフ・ラズがそれぞれの危害原理を展開した。危害原理は法的道徳主義の側から強い抵抗を受けながら、今も多くの論者にとって議論の焦点である。
この言葉を残した人物
「道徳」の名言
「徳とは二つの悪徳の中間にある」
アリストテレスが『ニコマコス倫理学』で、徳を過剰と不足という二つの悪徳の中間と定めた言葉。
「最大多数の最大幸福」
ベンサムが『統治論断片』の序文で、正と不正の尺度として掲げた功利主義の標語。
「人生に意味を問うのではなく、人生から問われていることに答えよ」
フランクルが『夜と霧』で、生きる意味への問いを転換すべきだと説いた考えを要約した言葉。
「人間を手段としてのみ扱うな、常に同時に目的として扱え」
カントが『人倫の形而上学の基礎づけ』で示した、人間性を単なる手段として扱うことを禁じる定式。
「不正を行うよりも、不正を受ける方がよい」
プラトンが対話篇『ゴルギアス』に記した、ソクラテスが不正を行うことこそ最大の悪だとして語る言葉。
「正義の原理は、無知のヴェールの背後で選ばれる」
ロールズが『正義論』で、正義の原理を選ぶ人々から自分の立場の知識を奪う仕掛けを述べた一文。