『異邦人』
いほうじん
カミュ·現代
社会の規範に無関心な男を描いた不条理文学の傑作
この著作について
カミュが『シーシュポスの神話』と同じ1942年に公刊した、不条理の感覚を小説として結晶させた20世紀文学の代表作。
【内容】
アルジェの港湾会社事務員ムルソーを語り手とする一人称小説。母の死に涙を流さず、翌日には恋人マリィと海水浴をし、友人レモンの諍いに巻き込まれる形で浜辺のアラブ人を「太陽が眩しかったから」と殺害する――物語の第一部。第二部の裁判では、殺人そのものよりも、母の葬儀で泣かなかったこと、翌日に海で笑ったことが道徳的に断罪されていく。独房で死を待つムルソーは、最後に「世界の優しい無関心」に自分を開き、処刑の朝に群衆の憎しみを求める、という不思議な肯定に至る。
【影響と意義】
社会が求める感情の規範に従わない『異邦人』としての主人公を通じて、私たちが当然と思い込んでいる慣習の不条理さが鮮やかに浮かび上がる。不条理文学の最高峰として世界中で読み継がれ、カミュはこの作品で一躍注目され、1957年のノーベル文学賞受賞へとつながった。
【なぜ今読むか】
冒頭の「きょう、ママンが死んだ。もしかすると昨日かもしれないが、私にはわからない」は、文学史上もっとも有名な書き出しの一つ。短く読みやすいが、読後に残る違和感こそが、この小説の真の力である。
さらに深く
【内容のあらまし】
小説は記憶に残る一文で開く。きょう、ママンが死んだ、もしかすると昨日かもしれないが、私にはわからない。語り手ムルソーはアルジェ近郊の養老院に向かい、白い廊下と暑さのなかで通夜と葬儀を過ごす。彼は涙を流さず、煙草を吸い、ミルクコーヒーを飲む。葬列の長い炎天下の道のりだけが、感覚として鋭く描かれる。
翌日、彼は海水浴に出かけ、コメディ映画を観に行き、女友達のマリィと夜を過ごす。アパートの近所では、隣人の老人サラマノが疥癬の犬を罵りながら散歩させている。もう一人の隣人レモンは情婦への怨みをムルソーに打ち明け、手紙の代筆を頼む。生活は淡々と続いていく。
夏のある日曜日、レモンに誘われて海辺の友人の小屋へ向かう。情婦の兄を含むアラブ人たちが砂浜に現れ、最初の喧嘩が起こる。午後、ムルソーは一人で浜辺を歩き、岩陰で再びアラブ人と出会う。ナイフの刃が太陽に光り、目を眩ませる。引き金が引かれる。倒れた相手にもう四発撃ち込む。第一部はこの銃声で閉じる。
第二部はそのまま審理の場面に移る。予審判事はムルソーに十字架を突きつけ、神を信じよと迫るが、ムルソーは関心がないと答えるだけである。裁判が始まると、検事は事件そのものよりも、母の葬儀で泣かなかったこと、翌日に喜劇映画を観たこと、マリィと寝たことを並べ立て、母を心の中で殺したような男だと陪審員に説く。弁護士は事件の核心に戻ろうとするが、空気はもう動かない。彼は死刑を宣告される。
最終章は独房での独白である。司祭が訪れ、彼に救いを差し出すが、ムルソーは突然怒りを爆発させ、司祭の襟首をつかんで叫ぶ。私が確信しているのは、自分の死と、まもなく来るその瞬間だけだ、と。司祭が去ったあと、夜の星と海の匂いに包まれて、彼は世界の優しい無関心に心を開く。処刑の朝に大勢の見物人が憎しみの叫びで自分を迎えてくれることだけが、自分が孤独でないと感じさせるだろう、と語り、物語は閉じる。
著者
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