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テ

『テアイテトス』

古代

知識の定義を真正面から論じたプラトンの認識論的対話篇

哲学

この著作について

プラトン後期の対話篇で、若い数学者テアイテトスを相手にソクラテスが「知識(エピステーメー)とは何か」を徹底的に問いつめる認識論の古典。

【内容】

対話は、メガラでエウクレイデスとテルプシオンが言葉を交わす短い枠の場面から始まる。本題に入ると、ソクラテスは幾何学者テオドロスに紹介された数学の才能ある少年テアイテトスに親しげに語りかける。ソクラテスは自分を「思想の産婆」にたとえ、相手の胸の内の考えを外に引き出して吟味していく。続いて、知識についての三つの定義が順に検討される。第一に「知識とは知覚である」という立場、第二に「知識とは真なる思いなし(真なる信念)である」という立場、第三に「真なる信念に理拠(ロゴス)を加えたものが知識だ」という立場である。いずれもソクラテスの反論によって決着のないアポリアへと追い込まれ、対話は「知識とは何かはまだ明らかではない」という告白とともに閉じられる。

【影響と意義】

第三の定義はのちに「正当化された真なる信念(JTB)」の原型とみなされ、1963年にエドマンド・ゲティアが反例を示すまで知識の標準的な定義だったと言い伝えられてきた。もっとも、ゲティア以前にこの定義をはっきり書いた例は意外に少ないとも指摘されている。それでも、この対話篇は認識論の礎となった著作の一つに数えられている。

【なぜ今読むか】

「情報」と「知識」の境界、事実と説得の区別、AIの出力をどこまで知識と呼べるかといった現代的な問いは、本書の三つの定義をなぞり直すことで驚くほど鮮明に整理される。短く読み通せる哲学的対話として今も新鮮である。

どの訳で読むか

1966年から岩波文庫に入っている田中美知太郎訳は、2014年の改版が凡例・訳注・解説を収めている。2019年に出た光文社古典新訳文庫の渡辺邦夫訳には、訳者の解説とソクラテス・プラトン年譜がつく。どちらも電子書籍で読める。

  • 田中美知太郎訳岩波書店・岩波文庫、2014年(初版は1966年)

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    1966年に岩波文庫に入った訳で、2014年12月に改版が出た(改版はNDLの記録)。改版は370ページで、凡例、訳注、解説を収め、電子書籍もある。版元はこの本を、日本の本格的なプラトン研究をきりひらいた泰斗による翻訳と紹介している。

  • 渡辺邦夫訳光文社・光文社古典新訳文庫、2019年

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    版元の表示で512ページの文庫で、訳者による解説と、ソクラテスとプラトンの年譜がつく。2019年11月からは電子書籍も配信されている。

ほかに、ちくま学芸文庫の渡辺邦夫訳(書名は「テアイテトス 知識について」、2004年)があるが、版元では品切れと表示されている(2026年10月時点)。

さらに深く

【内容のあらまし】

幕開けはメガラだ。エウクレイデスは、コリントスの陣営から深手と陣中の病を抱えて運ばれていくテアイテトスを見送ったとテルプシオンに話し、ソクラテスが死の少し前に少年の彼と交わした会話を思い出す。書き留めてはソクラテスに確かめて直した対話を、召使いが二人に読み上げる。

幾何学者テオドロスは、獅子鼻で目の出たところがソクラテスに似た少年を、油が音もなく流れるように学ぶと褒める。知識とは何かと問われた少年は、幾何学や靴作りの技術を並べてしまう。だが、テオドロスが3や5から17まで示した平方根を、仲間と一つの名でくくった話をすると、ソクラテスはその手際を手本にせよと励まし、自分は産婆の子で、魂のお産を手伝うが自分では産まないと打ち明ける。

一番目の答え、知識は知覚だという説は、人間は万物の尺度だというプロタゴラスの説や、すべては動いて生成するという説と結びつけて吟味される。6個のサイコロは4個より多く、12個より少ない。そんな謎に目がくらむと言う少年に、ソクラテスは驚くこと(タウマゼイン)こそ哲学者のしるしで、哲学の始まりはこれ以外にないと答える。それなら豚やヒヒも尺度ではないか。ソクラテスは亡きプロタゴラスに代わって弁明もしつつ、この説は自説を誤りとする人々の意見まで真と認めてしまうと詰める。途中には、法廷の弁論家と、星を見上げて井戸に落ちたタレスのような哲学者を対比する長い脱線もある。最後に、ある、ない、同じ、違うを捉えるのは目や耳でなく魂それ自身だとして、知覚は知識ではないと結論される。

二番目の答え、真なる思いなしこそ知識だという説は、偽りの思いなしはなぜ起こるのかという難問に迷い込む。考えるとは魂の黙った問答だとされ、記憶を蝋の板に、知識を心の鳥小屋に飼う鳥にたとえる比喩が試される。決め手は法廷で、限られた時間で説得された裁判員は、見ていない事件を正しく判断しても知ってはいない。

三番目の答えは、真なる思いなしに説明(ロゴス)が加わったものが知識だという、少年がかつて人から聞いた説だ。ソクラテスは夢には夢で返そうと言い、要素には説明がなく組み合わせだけが知られるという説を語る。文字と音節を例にこの説を崩したあと、説明の意味が三通りに試される。考えを声に映すこと、百枚の板でできた車を部品で数え上げること、テアイテトスの獅子鼻をほかの獅子鼻と見分けるしるしを言うこと。どれも行き詰まる。君が産んだのは風の卵だったが、また身ごもればこの吟味が生き、そうでなくても、知らないことを知っていると思わない穏やかな人になれる。そう告げてソクラテスは、メレトスの告訴の件で役所へ向かう。

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