「仁とは人を愛することである」
孔子古代
『論語』顔淵篇で、弟子の樊遅に仁とは何かと問われた孔子が答えた言葉。
この言葉について
さらに深く
【出典】
『論語』顔淵篇の第22章にある問答で、原文は「樊遲問仁。子曰、愛人」(樊遅、仁を問う。子曰く、人を愛す)である。樊遅(はんち)は孔子の弟子で、この問答には続きがある。樊遅は続けて知とは何かを問い、孔子は「人を知ることだ」と答える。のみこめずにいる樊遅に、孔子は、正しい人を引き立てて曲がった人の上に置けば、曲がった人も正しくなる、と補った。樊遅は退出してから、同じく孔子の弟子である子夏(しか)に意味を尋ねる。子夏は、古代の聖王の舜が皋陶(こうよう)を、湯が伊尹(いいん)を多くの人の中から選んで登用したことで、仁でない者が遠ざかったと説明した。人を愛するという答えは、人を見抜いて正しく用いるという政治の話と組になっているのである。
【よくある誤解】
「仁とは人を愛すること」を、孔子が下した唯一の仁の定義と見るのは正確ではない。『論語』では、同じ問いに相手ごとに違う答えが返ってくる。同じ顔淵篇の中だけでも、顔淵には自分に打ち克って礼に立ち返ること、仲弓には自分の望まないことを人にしないこと、司馬牛には言葉を慎むことを、それぞれ仁として示している。樊遅への答えは、その一つにすぎない。また儒家の愛は、すべての人を等しく愛することではない。『論語』学而篇では、孔子の弟子の有子(ゆうし)が、親への孝と兄への悌を仁の根本と呼んでいる。儒家の思想家である孟子は、肉親を親しむことから民への仁へ、さらに物への愛へと広げていく順序を説き、分け隔てなく愛せと説く墨家の兼愛を、父をないがしろにするものだと退けた。
【この言葉のその後】
「人を愛す」という言い方は、後の儒家にも受け継がれた。孟子は、仁のある者は人を愛し、礼のある者は人を敬うと述べ、人を愛する者は人からも常に愛され、人を敬う者は人からも常に敬われると続けた。唐代の文章家で儒学者の韓愈は、文章「原道」の冒頭で「博愛之謂仁」(博く愛する之を仁と謂う)と書き、広く愛することを仁と定義した。同じ「原道」で韓愈は、老子が仁義を小さく見たのは、井戸の中に座って天を見て、天は小さいと言うようなものだと批判している。韓愈は、のちの新儒学の発展に大きな影響を与えた人物でもある。
この言葉を残した人物
孔子のほかの名言
「愛」の名言
「他者の苦しみへの共苦こそが道徳の基盤である」
ショーペンハウアーが『道徳の基礎について』で、共苦こそ道徳の土台だと説いた主張を短くまとめた言葉。
「他者の顔は「殺すなかれ」と語りかける」
レヴィナスが『全体性と無限』で、他者の顔の最初の言葉は「汝殺すなかれ」だと書いた一節に基づく言葉。
「我と汝」
ブーバーが主著『我と汝』の題に掲げた、世界への二つの関わり方の一方を示す根源語。
「愛は技術である」
フロムが『愛するということ』で、愛は学んで身につける技術だと説いた言葉。
「汝の隣人を愛せよ」
イエスが神への愛に次ぐ第二の戒めとして、旧約聖書レビ記の句を引いて示した言葉。
「君がぼくをなつかせたら、ぼくたちは互いに相手が必要になる」
サン=テグジュペリの『星の王子さま』第21章で、キツネが王子に絆の意味を教える台詞。