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「仁とは人を愛することである」

孔子古代

『論語』顔淵篇で、弟子の樊遅に仁とは何かと問われた孔子が答えた言葉。

愛

この言葉について

仁(じん)すなわち他者への思いやりこそが、人間として最も大切な徳であるという東洋倫理の基盤。

【背景】

孔子が『論語』で繰り返し語った概念。弟子の樊遅が「仁とは何ですか」と尋ねた際、「人を愛することだ」と答えた(顔淵篇)。

【解釈】

仁は単なる感情ではなく、親子・君臣・朋友などあらゆる人間関係の中で実践される徳。自分を修め、礼を守り、他者を思いやることで社会全体が調和する。

【現代への示唆】

競争社会の中で忘れがちな「思いやり」の精神を、2500年前の知恵が教えてくれる。他者への配慮が社会を支える基盤となる。

さらに深く

【出典】

『論語』顔淵篇の第22章にある問答で、原文は「樊遲問仁。子曰、愛人」(樊遅、仁を問う。子曰く、人を愛す)である。樊遅(はんち)は孔子の弟子で、この問答には続きがある。樊遅は続けて知とは何かを問い、孔子は「人を知ることだ」と答える。のみこめずにいる樊遅に、孔子は、正しい人を引き立てて曲がった人の上に置けば、曲がった人も正しくなる、と補った。樊遅は退出してから、同じく孔子の弟子である子夏(しか)に意味を尋ねる。子夏は、古代の聖王の舜が皋陶(こうよう)を、湯が伊尹(いいん)を多くの人の中から選んで登用したことで、仁でない者が遠ざかったと説明した。人を愛するという答えは、人を見抜いて正しく用いるという政治の話と組になっているのである。

【よくある誤解】

「仁とは人を愛すること」を、孔子が下した唯一の仁の定義と見るのは正確ではない。『論語』では、同じ問いに相手ごとに違う答えが返ってくる。同じ顔淵篇の中だけでも、顔淵には自分に打ち克って礼に立ち返ること、仲弓には自分の望まないことを人にしないこと、司馬牛には言葉を慎むことを、それぞれ仁として示している。樊遅への答えは、その一つにすぎない。また儒家の愛は、すべての人を等しく愛することではない。『論語』学而篇では、孔子の弟子の有子(ゆうし)が、親への孝と兄への悌を仁の根本と呼んでいる。儒家の思想家である孟子は、肉親を親しむことから民への仁へ、さらに物への愛へと広げていく順序を説き、分け隔てなく愛せと説く墨家の兼愛を、父をないがしろにするものだと退けた。

【この言葉のその後】

「人を愛す」という言い方は、後の儒家にも受け継がれた。孟子は、仁のある者は人を愛し、礼のある者は人を敬うと述べ、人を愛する者は人からも常に愛され、人を敬う者は人からも常に敬われると続けた。唐代の文章家で儒学者の韓愈は、文章「原道」の冒頭で「博愛之謂仁」(博く愛する之を仁と謂う)と書き、広く愛することを仁と定義した。同じ「原道」で韓愈は、老子が仁義を小さく見たのは、井戸の中に座って天を見て、天は小さいと言うようなものだと批判している。韓愈は、のちの新儒学の発展に大きな影響を与えた人物でもある。

この言葉を残した人物

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