「己の欲せざるところ、人に施すなかれ」
孔子古代
孔子が『論語』で、恕(思いやり)の中身として説いた、人にされたくないことをしない教え。
この言葉について
さらに深く
【出典】
『論語』衛霊公篇に記録された孔子の言葉である。原文は「其恕乎!己所不欲,勿施於人」(其れ恕か、己の欲せざる所は人に施すこと勿かれ)で、子貢の問いへの答えにあたる。同じ八文字は顔淵篇にも出てくる。そちらでは弟子の仲弓が仁とは何かを問い、孔子は、門を出れば大切な客に会うように人に接し、民を使うときは大きな祭りを執り行うときのようにせよ、という言葉と並べてこの句を述べ、そうすれば国にいても家にいても怨まれることがない、と続けている。
【よくある誤解】
この言葉は禁止の形をとっているが、『論語』には同じ思いやりを積極的な形で言う言葉もある。雍也篇で孔子は、仁者は自分が立ちたいと思えば人を立たせ、自分が達したいと思えば人を達しさせる、と述べ、身近な自分を例にとって人を思うことを仁の方法だとした。禁止の形と勧めの形が対になっているのである。また公冶長篇では、子貢が、人にされたくないことは私も人にしたくない、と言ったのに対し、孔子は、賜(子貢の名)よ、それはお前の及ぶところではない、と返している。弟子の子貢にもまだ及ばないとされた、実行の難しい教えでもあった。
【この言葉のその後】
同じ考えは儒家の経典『中庸』に、忠恕(誠実と思いやり)は道から遠くない、自分にされて願わないことは人にもするな、という形で受け継がれた。西洋では、カントが『人倫の形而上学の基礎づけ』の注で、ありふれた「自分にされたくないことは」という規則は道徳の原理にはなれないと退けた。自分自身に対する義務も、他人に親切にする義務も含まず、罰を受ける犯罪者が裁判官に向かってこれを持ち出すことさえできるからである。一方、1993年にシカゴで開かれた世界宗教会議の宣言は、多くの宗教と倫理の伝統で何千年も保たれてきた原則としてこの規則を掲げ、積極形と並べて、あらゆる領域の無条件の規範とした。