「温故知新」
孔子古代
孔子が『論語』為政篇で、古いことを学び直して新しい理解を得る者は人の師になれると説いた言葉。
この言葉について
さらに深く
【出典】
『論語』為政篇にある孔子の言葉で、原文は「溫故而知新,可以爲師矣」(故きを温ねて新しきを知る、以て師為るべし)である。国語辞典は「温」を「たずねて」と訓読し、「あたためて」と読む説もあると注記している。四字熟語の「温故知新」はこの前半を縮めた形で、原文には、それで人の師となることができる、という後半がある。つまりこの言葉は、学び方の一般論である以上に、人を教える者の条件を述べた言葉である。為政篇では、すぐ次の章で、君子は一つの用途に限られた道具ではない、と説かれる。
【よくある誤解】
今の国語辞典は「温故知新」を、過去の事実を研究してそこから新しい知識や見解をひらくこと、と説明している。しかし朱熹(朱子)の『四書集注』のうち『論語』の注は、「故」をかつて聞いて学んだこと、「新」を今新たに得たことと解く。学んだことを折にふれて復習し、そのたびに新しい理解が得られれば、学問が自分のものとなり、問いに応じて尽きることがないので人の師となれる、という説明である。朱熹はさらに、暗記して問いに答えるだけの学問は心に得るものがなく、知る範囲も限られるとし、『礼記』学記篇が、記問の学は人の師となるには足りないと批判するのと同じ意味だと述べる。
【この言葉のその後】
同じ句は儒家の経典『中庸』にも、手厚い心で礼を尊ぶ、という句と並べて出てくる。日本でも早くから使われ、国語辞典は、古代の歴史書の大宝3年(703年)3月の条にある「然温故知新希有其人」(しかし温故知新のできる人はまれである)を、最も古い用例に挙げている。一方で、今の国語辞典の定義は、朱熹のいう一度学んだことの復習よりも広く、過去の事実の研究に重心がある。坪内逍遙の1891年の文章も、辞典に用例として引かれている。もとは人の師となる者の条件を言う言葉が、日本語では古いものを調べ直す姿勢一般を表す四字熟語として定着した。