
アイザイア・バーリン
Isaiah Berlin
1909年 — 1997年
「二つの自由」で消極的自由と積極的自由を区別した政治思想家
この人物について
自由の概念を「消極的自由」と「積極的自由」に分け、価値の多元主義を擁護した20世紀を代表するリベラル思想家。
【代表的な思想】
■ 二つの自由概念
「~からの自由」(消極的自由:干渉や強制がない状態)と「~への自由」(積極的自由:自己実現や自己支配)を区別した。積極的自由が暴走すると全体主義に至りうると警告。
■ 価値多元主義
人間が追求する諸価値(自由・平等・正義・幸福など)は互いに両立不可能な場合があり、すべてを同時に実現する理想社会は存在しないとした。一元的な理想の追求は危険であると論じた。
■ ハリネズミとキツネ
思想家を「一つの大きな原理で考えるハリネズミ型」と「多様な視点で考えるキツネ型」に分類する有名なエッセイ。
【特徴的な点】
ラトヴィア出身のユダヤ人として全体主義の時代を生き、イデオロギーの一元主義に対する生涯にわたる警戒感を持ち続けた。
【現代との接点】
自由と安全、多様性と統一の緊張関係は現代の民主主義の核心的課題。価値多元主義は多文化社会における共生の哲学的基盤となる。
さらに深く
【思想の形成】
アイザイア・バーリンは1909年、ロシア帝国のリガでユダヤ人商人の家に生まれた。少年期にサンクトペテルブルクで二月革命と十月革命を目撃し、ボリシェヴィキの群衆に官憲が引きずられる光景を忘れえぬ原体験として語り続けた。1921年に一家でイギリスに移住し、セント・ポールズ校を経てオックスフォード大学で古典・哲学・政治・経済を修めた。若くしてオールソウルズ・カレッジのフェローに選ばれ、当初は分析哲学に打ち込んだが、形式論理に偏る英国哲学の潮流に物足りなさを感じて政治思想史研究に転じた。第二次大戦中はワシントンの英国大使館で米国世論を分析し、モスクワでは詩人アフマートヴァと面会した。戦後はオックスフォードの社会・政治理論の講座で長く教え、英国アカデミー会長、ウォルフソン・カレッジ初代学長を歴任した。
【思想的意義】
1958年の就任講演「二つの自由概念」は、干渉からの自由を意味する消極的自由と、真の自己の実現を意味する積極的自由を区別し、後者が集団意志や理性の名のもとに個人を抑圧する全体主義に転化しうる危険を警告した。バーリンの深い洞察は、自由を一つの原理に還元せず、諸価値の不可避な複数性と相互衝突を正面から受け止める価値多元主義にある。『ハリネズミとキツネ』ではトルストイを手がかりに、一つの大きな原理で世界を捉えるハリネズミ型と、無数の視点を往還するキツネ型という有名な類型を提示した。反啓蒙思想研究ではヘルダー、ハマン、マイストルら十八世紀末の反理性主義者を取り上げ、人類の理想を単一化しようとする啓蒙の傲慢への内在的対抗軸を掘り起こしている。
【影響と継承】
バーリンの価値多元主義は、ロールズのリベラル正義論、マッキンタイアやサンデルの共同体主義、テイラーの承認論と並びつつ、規範理論の主要な論争軸を形成した。現代政治哲学ではジョン・グレイやチャールズ・テイラー、バーナード・ウィリアムズがバーリンを継承してリベラリズムに多元性を組み込む理論を展開している。冷戦下のソ連全体主義批判、1990年代以降の多文化主義論、2010年代のポピュリズム論、リベラル・デモクラシーの危機論のどれをとってもバーリンの枠組みが参照される。日本では川出良枝《かわでよしえ》、宇野重規《うのしげき》、森達也《もりたつや》らによって継承され、保守とリベラルの共通参照項として読み直されている。
【さらに学ぶために】
『自由論(ミル)』が主要論文を収めた定番の一冊。『ハリネズミと狐』は短く機知に富み、入口に最適である。マイケル・イグナティエフ『アイザィア・バーリン』(石塚雅彦《いしづかまさひこ》・藤田雄二《ふじたゆうじ》訳)は伝記として優れている。グレイ『バーリンの政治哲学入門』、ウィリアムズ『生き方について哲学は何が言えるか』も有益。ロールズ『正義論』と並べれば現代政治哲学の見取り図が整う。

