
イブン・ハルドゥーン
Ibn Khaldun
1332年 — 1406年
歴史学・社会学の先駆者、文明の興亡を理論化したイスラーム知識人
この人物について
文明の興亡を「アサビーヤ(集団連帯意識)」という概念で理論化し、社会科学の方法を先取りした中世イスラーム最大の知識人の一人。
【代表的な思想】
■ アサビーヤ(集団連帯意識)
遊牧民の強い連帯意識が王朝を建設する原動力となるが、都市文明の繁栄の中で連帯が弱まり、やがて新たなアサビーヤを持つ集団に取って代わられるという文明の循環理論を提唱。
■ 『歴史序説(ムカッディマ)』
歴史学を単なる年代記ではなく、社会の法則を探究する学問として構想した画期的著作。経済・教育・人口・気候と文明の関係を体系的に論じた。
■ 社会科学的方法
歴史的事象を超自然的原因ではなく、社会構造・経済・環境といった観察可能な要因から説明しようとした。
【特徴的な点】
西洋の社会学がコントに始まるとされる数世紀も前に、社会の科学的分析を試みた。トインビーは、彼が構想した歴史哲学を、いかなる時代、いかなる国のいかなる精神が生み出した同種の業績よりも偉大だと評した。
【現代との接点】
帝国や国家の盛衰のパターン、社会的結束と分裂のメカニズムなど、現代の国際政治・社会学にも応用可能な洞察を提供している。
さらに深く
【思想の形成】
イブン・ハルドゥーンは1332年、チュニスのアンダルシア系名家に生まれた。一族は十三世紀のレコンキスタでセビーリャを追われてマグリブに亡命し、北アフリカ諸王朝で行政官を務めた系譜を持つ。1348年から翌年にかけて、黒死病で両親と師の多くを失い、若くして人生の無常を身をもって知った。20歳でマリーン朝、ナスル朝、ハフス朝、マムルーク朝と、北アフリカからアンダルス、エジプトまで移動する政治的放浪者となり、宰相級の要職と投獄・追放を繰り返した。1375年、イブン・サラーマ城に蟄居《ちっきょ》した四年間が転機となる。宮廷の喧騒から離れたこの山中で『歴史序説』の主部を一気に草し、政治経験を直接の素材として歴史学の方法論を打ち立てた。晩年はカイロのアズハルなどで教え、マーリク法学派の大法官に六度任じられ、1401年にはシリアに侵攻したティムールと直接会見する機会を得た。
【思想的意義】
ハルドゥーンの最大の独創は、歴史を年代記の集積ではなく、社会の興亡を説明する法則を探る学問として立ち上げた点にある。中核概念アサビーヤは部族や共同体の強い連帯意識を指し、遊牧民社会でこれが高揚することで王朝建設のエネルギーが生まれる。建国した集団は都市に入って定住すると贅沢で連帯を弱め、三世代ほどでアサビーヤを喪失し、新たな連帯を持つ部族に取って代わられる。この循環は宗教運動の台頭、経済の盛衰、気候と地理、教育と職業分化と連動して描かれ、経済の需要供給、労働価値、貨幣流通、国家財政までが一つの社会理論として統合される。自然科学を模したイスラーム世界の社会哲学として、近代社会科学の到来を六〇〇年先取りするスケールを持っていた。
【影響と継承】
イスラーム世界ではオスマン朝の宮廷知識人が『歴史序説』を統治の手引きとし、改革論の参照点とした。西欧では十七世紀に紹介が始まり、十九世紀にはフランスの東洋学者たちが抄訳やアラビア語版を出して注目を集めるようになった。のちにアーノルド・トインビーは、彼の歴史哲学を同種のもので最大の業績と称えた。二十世紀以降、人類学者アーネスト・ゲルナー、歴史社会学者ピーター・ターチンらがアサビーヤや循環の概念を現代理論に書き直し、複雑系科学の方法で文明興亡を計量する試みも生まれている。中東・マグリブ地域研究、統治の正当性論、宗教と政治の関係論においても、古典として繰り返し読み返される存在である。
【さらに学ぶために】
森本公誠《もりもとこうせい》『イブン=ハルドゥーン』が日本語で最良の入門書兼評伝である。同氏の『歴史序説』全四巻(岩波文庫)が一次文献。ゲルナー『イスラム社会』や、帝国の興亡を数理モデルで論じたターチンの研究は現代応用の見取り図を与える。マキャヴェッリ『ディスコルシ』、モンテスキュー『法の精神』と並べると政治哲学史における位置が立体化する。



