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入門編 · 近代哲学の展開 · 第30

社会契約論:ホッブズ・ロック・ルソー

想像してみてください。国家も法律も警察もない世界に、私たちはいきなり放り込まれます。財産は誰のものか、約束は誰が守らせるのか、夜眠っているあいだに襲われない保証はどこにあるのか。17世紀から18世紀にかけて、三人の哲学者がこの「自然状態」という思考実験から出発し、まったく異なる結論にたどり着きました。彼らの対話は、近代の国家像を作り上げていきます。

自然状態という思考実験

自然状態とは、政治的な権威がまだ成立していない状態のことです。実在の歴史というよりも、国家とは何のためにあるのかを照らし出すための仮想シーンだと考えていいでしょう。なぜ人間はそもそも他人と共同で暮らし、自分の自由の一部を譲り渡してまで国家を作るのか。それを根拠づけるために、三人はそれぞれの自然状態を描きました。

ここで重要なのは、彼らの結論が政治制度の設計図にまで直結していった点です。社会契約論は単なる理論ではなく、イギリスの名誉革命、アメリカ独立宣言、フランス革命を理念のレベルで支える思想的なエンジンになっていきました。

ホッブズ:万人の闘争とリヴァイアサン

イギリス内戦の混乱を生き抜いたホッブズにとって、自然状態は陰惨いんさんな光景でした。人間は本性上、自己保存を求め、能力もほぼ平等です。すると同じ獲物をめぐって全員が全員と争うことになります。「万人の万人に対する闘争」のなかで、人生は「孤独で貧しく、不潔で残忍ざんにんで短い」ものになる、と彼はリヴァイアサンで書きました。

この地獄から抜け出す唯一の道は、各人が自分の自然権を一括して一人の主権者に譲り渡し、絶対的な権力を持つ国家、つまりリヴァイアサンを立ち上げることです。ホッブズの主張は専制を擁護したように聞こえますが、その出発点は意外にも近代的です。国家の正統性は神でも伝統でもなく、契約を結ぶ個人たちの理性的な同意にある、と彼は宣言したからです。

ロック:自然権と統治の正当性

一世代後のロックは、自然状態をはるかに穏やかに描きました。理性に従えば、人間は互いの生命・自由・財産を尊重しながら共存できる。ただし、争いを公平に裁く第三者がいないため、不便は残る。だから人々は契約を結び、限定された権力を政府に信託しんたくする。

ロックにとって、政府の役割はあくまで自然権を守ることに尽きます。もし政府がその信託を裏切って人民の権利を侵害するなら、人民にはこれを取り替える抵抗権ていこうけんがある。統治二論のこの主張は、名誉革命を正当化し、後にアメリカ独立宣言の「すべての人は生まれながらに平等で、生命・自由・幸福追求の権利を持つ」という有名な一節へと結実していきました。

ルソー:一般意志と文明批判

ジュネーヴ生まれのルソーは、二人の先行者と決定的に異なる絵を描きました。自然状態の人間はもともと孤独で素朴で善良でした。財産と社会の登場によってこそ、人は虚栄きょえいと不平等の罠に落ちた、と社会契約論とその前史で彼は論じます。

ではどうすればいいのか。ホッブズのように主権者に丸投げするのでも、ロックのように個人の権利を保護するだけでもありません。市民全員が自分の特殊意志を超えて、共同体全体の利益を志向する「一般意志」を形成し、それに自ら従うこと。一般意志に従うとは、外から強制されることではなく、自分自身で立てたルールに従うことだから、それこそが本当の自由です。この考えはフランス革命のジャコバン派に火をつけ、同時に「全体のための個」を肯定する全体主義への危険な扉も開くことになりました。

もしあなたが今、何の制度もない自然状態に放り込まれたら、まず誰と、どんな約束を結ぶでしょうか。そしてその約束を破る者を、誰が裁くのでしょうか。

三人は同じ思考実験から、絶対主権・抵抗権・一般意志という別々の答えを引き出しました。けれども共通する核は同じです。政治的権威の正統性は、神でも血統でもなく、人々の同意に由来する。この発見が近代の革命を支え、今も民主主義の根本原理として生きています。次章では、この社会契約の議論を背景に開花した啓蒙運動の世紀を訪ねます。