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専門編 · 20世紀の哲学者たち · 第67

ベルクソン:時間は流れているのか

1900年代のコレージュ・ド・フランス。アンリ・ベルクソンの金曜の講義は、座席を確保するために朝から人が並ぶ社交界しゃこうかいの事件でした。哲学の講義に女性たちが感涙かんるいし、ロシアの貴婦人きふじんやプルーストが姿を見せたといいます。中心にあったのは、時計が測る時間とは別の、生きられた時間の発見でした。本章ではその思想と人生を辿ります。

持続 — 物理学と意識の二つの時間

1889年の博士論文時間と自由ベルクソンが提示したのは、二種類の時間の根本的区別でした。物理学が扱う時間は、空間上に並べた瞬間の連続であり、t1, t2, t3 と数えられる同質的なものです。これに対し、私たちが直接生きる時間は、メロディーを聴くときの音同士が浸透しんとうしあうように、過去と現在がからみ合いながら流れる質的多様性しつてきたようせいです。彼はこれを「持続(durée)」と名づけました。

持続の発見は、自由意志の古い論争を解体する効果をもちました。決定論と非決定論はいずれも時間を空間に置き換えて、行為を「これ」か「あれ」かの分岐点として描く。ベルクソンに言わせれば、これは時間を写真フレームに切り刻んで自由を探す錯覚です。自由とは、私たちの全人格が持続の流れのなかから湧出ゆうしゅつする瞬間に成立する。問いの立て方そのものを揺さぶるラディカルな提案でした。

アインシュタインとの対決 — 1922年の歴史的論争

1922年4月6日、パリのソルボンヌで奇妙な対決が行われます。43歳のアインシュタインが特殊相対論の解説に来ていた席で、63歳のベルクソンが立ち上がり、相対論の哲学的含意を論じ始めたのです。彼の主張は、相対論が示すのは時計が示す時間の相対性にすぎず、生きられた持続そのものは別の次元にある、というものでした。

アインシュタインは「哲学者の時間というものは存在しない、あるのは物理学者の時間だけだ」と短く反論します。この論争はベルクソンの敗北として伝えられ、20世紀の哲学が物理学に対して失った権威を象徴する場面となりました。それでも近年になって、両者の論点が実は交差せず、ベルクソンの「生きられた時間」と相対論の「物理的時間」は別の問いに属していたと再評価する科学哲学者が増えています。

創造的進化とエラン・ヴィタル

1907年の創造的進化は、ダーウィン以後の進化論を哲学的に再解釈した壮大な試みです。ベルクソンは生命を、機械論でも目的論でも捉えきれない独自の運動として描き、その駆動因を「エラン・ヴィタル(élan vital)」と名づけました。生命は単一の起源から放射状ほうしゃじょうに分岐し、植物・動物・人間という三つの主要方向に発展する。

注目すべきは、知性そのものが物質を扱うために進化した能力だと彼が論じた点です。だからこそ知性で生命の本質を捉えるのは困難で、私たちが運動を瞬間の連続として捉えるのは、知性の側に組み込まれたくせにすぎません。生命を理解するには、知性とは別の能力、つまり対象の内側に入り込む直観の方法が要請される。この書はホワイトヘッドの過程哲学、ドゥルーズの差異の哲学に直接の影響を与え、1927年のノーベル文学賞の主因ともなりました。

開かれた社会、ヴィシー下の最期

最晩年の1932年、ベルクソンは道徳と宗教の二源泉を発表します。彼が対置するのは「閉じた社会」と「開かれた社会」です。前者は集団の自己保存を目的とする義務の体系で、内輪うちわの連帯と外部への敵意で動く。後者はキリストや仏陀のような神秘家しんぴかによって、人類全体へと開かれていく愛の体系です。義務と愛、力と霊感れいかんの二源泉が、私たちの道徳意識の中で常に競い合っている。

1941年1月、占領下パリ。81歳のベルクソンはユダヤ人登録のため、雪の中を市役所の行列に並びました。ヴィシー政権は彼にだけ免除めんじょを申し出ましたが、彼はこれを拒否きょひし、市民の一人として並ぶことを選んだのです。その風邪が悪化して数日後に亡くなります。生涯にわたって直観で語った哲学者は、最期にも自分の言葉に身体で答えた。次章では、彼が直観で迫った「事象そのもの」を別の方法で追求した同時代人、フッサールに進みます。