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愛

『愛のわざ』

あいのわざ

近代

愛を義務として徹底的に読み直す実名期の大著

哲学宗教

この著作について

セーレン・キルケゴールが1847年に本名で公刊したキリスト教的倫理の大著。『死にいたる病』の前年に書かれ、仮名による美的・実存的著作群の裏側にあたる、信仰者キルケゴールの正面からの愛論である。

【内容】

二部構成。新約聖書の「隣人を自分のように愛しなさい」という命令を手がかりに、愛を「なすべき義務」として徹底的に読み直す。感情としての恋愛や友情は対象への偏愛であり、本物の愛は対象が誰であれ変わらない無条件の責務でなければならない、と論じる。赦し、自己犠牲、報いへの期待を捨てること、沈黙して行うことなど、具体的な「愛のわざ」の諸相が聖書の一節ごとに掘り下げられる。

【影響と意義】

20世紀の神学者ニーバー、ブルンナー、ボンヘッファーの倫理学に直接影響を与え、近年はハーバーマスやリクール、ジュディス・バトラーらによる他者論の文脈でも再評価が進む。「愛は行為である」という主張の徹底度において、現代の愛論のほとんどが本書を避けて通れない。

【なぜ今読むか】

恋愛・家族・友人関係に還元されない「愛」を考えたい読者にとって、もっとも厳しくもっとも励ます書物。自己中心性を崩す読書体験として今なお強い。

どの訳で読むか

全体を1冊で読むなら創言社の尾崎・佐藤訳があり、2冊に分かれた著作集の巻で読むなら白水社の武藤・芦津訳がある。題が『愛の業』と『愛のわざ』で違うため、書店や通販では両方の題で探すとよい。どちらも刊行から年数がたっているので、買う前に書店の在庫や図書館の所蔵を確かめるとよい。

  • 武藤一雄・芦津丈夫共訳白水社・「キルケゴール著作集」15・16、1964年(1995年に新装復刊)

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    書名は『愛のわざ』。第1部(15巻、334頁)と第2部(16巻、288頁)の2冊に分かれる。版元ドットコムでは出版社在庫情報が「不明」と表示されている(2026年10月時点)。

  • 尾崎和彦・佐藤幸治訳創言社・「原典訳記念版 キェルケゴール著作全集」第10巻、1991年

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    書名は『愛の業』。大谷長の監修で、1冊615頁。シリーズ名に「原典訳記念版」とあり、付録の小冊子「キェルケゴーイアナ」No.6がつく。

さらに深く

【内容のあらまし】

初版は第一集と第二集に分かれ、どちらも「講話の形をとったいくつかのキリスト教的考察」と副題がつく。第一集の序文でキルケゴールは、これは愛についてではなく、愛のわざについての考察だと念を押す。

第一集の第1章は、木はその実によって知られるというルカ福音書の一節を掲げる。静かな湖が誰の目にも見えない泉に深く根ざすように、人の愛はさらに深く神の愛に根ざす。愛は実によって知られるが、どの言葉もどの行いも、それだけで愛の証明にはならず、行いがどのようになされるかで決まるという。第2章は三つに分かれる。Aは、愛することが義務であるときにだけ、愛は変化から守られ、自由になり、絶望から守られると説き、絶望とは愛する人を失うことではなく永遠なものを欠くことだと言う。Bは、神に祈るために閉じた扉を開けて外へ出れば、最初に出会う人が隣人だと語る。Cは、地上の違いを芝居の役になぞらえる。第3章Aは、約束は誠実だが守るのは難しいという諺から始め、はいと答えながらぶどう園へ行かなかった息子のたとえで、軽々しく約束する危うさを示す。第4章では、世界を旅しても描くに値する人が見つからないと嘆く画家と、身近な人々のどの顔にも美しい面を見いだす画家が比べられ、後者こそ芸術家だとされる。同じ章では、自分を否んだペテロを見たキリストのまなざしが、自分の不注意で危険に陥り、手の届かない子を、とがめつつも救うまなざしで捉える母の目にたとえられる。第5章は愛を無限の負債と呼ぶ。捕らえた魚を生かすにはすぐ水に入れねばならないように、愛もその無限のなかにとどまらなければ死ぬと言う。

第二集は、愛は造り上げるという章から始まる。愛する者は相手の心に愛があると前提し、その前提によって愛を土台から造り上げる。愛はとどまるという章では、関係を断たれても愛する者は「私はとどまる」と言い、断絶を、文がまだ終わっていない途中とみなす。慈しみの章は善いサマリア人の話を書き換え、徒歩で来て傷を包む物も持たない彼が、けが人を担いで運んだ末に、その人が手の中で死んでも、同じように慈しみ深かったのではないかと問う。死者を思い起こす章は、それが最も無私で、最も自由で、最も忠実な愛のわざだと説く。愛をほめたたえる章は、それが愛から出たのか虚栄や高慢なのかは、他人には確かに決められないと断る。結びは使徒ヨハネの「愛する者たちよ、互いに愛し合おう」を引き、これは愛を語る始まりでなく完成の言葉だから、自分は聞き手になると言う。孤独のなかのこだまのように、人が他人に言い、また行うことを、神は無限に大きくして繰り返すと語る。

著者

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