「夢に蝶となりて、蝶の夢か我の夢か知らず」
荘子古代
荘子の名で伝わる『荘子』「斉物論」篇の、胡蝶の夢の問いを縮めて訳した言葉。
この言葉について
さらに深く
【出典】
この言葉は、『荘子』内篇の「斉物論」篇の最後に置かれた短い話を縮めて訳したものである。荘周(荘子)がかつて夢で蝶になり、ひらひらと舞って心ゆくまで楽しみ、自分が荘周だとは知らなかった。ふと目覚めると、まぎれもなく荘周であった。続く核心が「不知周之夢爲胡蝶與,胡蝶之夢爲周與(知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるか)」である。ただし、今の『荘子』は312年に没した郭象が、それまでの52篇を33篇に縮めて編み直したもので、郭象が荘子の時代のものとしたのは内篇の7篇だけだった。広く前提とされてはいるが、荘子本人が内篇を書いたということも仮説にとどまるとされる。
【よくある誤解】
この話を、夢と現実の区別はつかない、という結論だけで読むと、原文の最後の一文が抜け落ちる。荘子は問いを投げたあと、「周與胡蝶,則必有分矣(周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん)」、つまり荘周と蝶には必ず区別がある、と言い切り、これを「物化」(ものの変化)と名づけて締めくくる。英語圏の研究でも、どちらが夢を見ているのか分からない、ただし違いは必ずある、と訳されている。区別が消えるのではなく、区別がありながら一方が他方へ移り変わる、その変化のほうに目を向けさせる結びである。この話は、ある見方から別の見方への転換が逆向きにも起こりうることを示す、穏やかな懐疑の最も有名な例ともされる。
【この言葉のその後】
日本では「胡蝶の夢」が故事成語として定着した。日本語の辞書では、夢と現実が定かでないこと、その区別を超越すること、また人生のはかなさのたとえと説明され、最初の用例として1516年ごろの謡曲「胡蝶」の詞章が挙げられる。観世信光作のこの能では、梅の花とだけは縁が薄いと嘆く胡蝶の精が、旅の僧の読経で成仏を願う。その詞章には、『荘子』の胡蝶の夢の話から取った文が使われている。近代には坂口安吾も1947年の作品で、夢に見た蝶が自分か、今の自分が夢かわかるものか、という荘周先生の説に触れた。荘子の結びにあった「必ず区別がある」は、日本語の慣用では後景に退き、夢と現実の境のあいまいさや人生のはかなさのたとえとして広まったのである。
この言葉を残した人物
「幸福」の名言
「足るを知る者は富む」
老子が『老子』第33章で、満ち足りることを知る者こそ本当に豊かだと説いた言葉。
「物事には、われわれの力の及ぶものと、及ばないものがある」
エピクテトスの教えを伝える『提要』の冒頭で、力の及ぶものと及ばないものを分けた一文。
「ただちに生きよ」
セネカが『人生の短さについて』で、明日を当てにせず今日のうちに生きよと促した言葉。
「幸福とは、完全な徳に即した魂の活動である」
アリストテレスが『ニコマコス倫理学』第1巻で、幸福を徳の発揮として定義した言葉。
「幸福とは、持つことではなく、在ることである」
フロムが『生きるということ』で示した「持つ様式」と「ある様式」の対比を要約した言葉として知られる。
「意味への意志」
フランクルが、快楽への意志や力への意志に対して、人を根本で動かすものとして掲げた考え。