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近代西洋

マルティン・ルター

Martin Luther

1483年1546年

宗教改革を起こしプロテスタントの礎を築いた神学者

宗教改革プロテスタント信仰義認
ルター

この人物について

「信仰のみ」を掲げてカトリック教会に挑んだ宗教改革の父。1517年の「九十五カ条の論題」で免罪符を批判し、改革の口火を切った。

【代表的な思想】

■ 信仰義認(ソラ・フィデ)

救済は善行や教会の仲介によるものではなく、「信仰のみ」によって神から与えられると主張した。キリスト者の自由で簡潔に表明されている。

■ 聖書のみ(ソラ・スクリプトゥラ)

聖書のみが信仰の権威であるとし、教皇の権威を否定した。聖書のドイツ語訳によって一般民衆が直接聖書を読める道を開いた。

■ 万人祭司主義

聖職者と平信徒の区別を批判し、信徒一人ひとりが神の前に等しく祭司であると説いた。

【特徴的な点】

印刷技術を活用して思想を広めた最初の「メディア革命家」でもある。ドイツ語聖書は近代ドイツ語の基盤となった。

【現代との接点】

個人の信仰の自由・良心の自由という近代的価値観の源流として重要であり、プロテスタンティズムの精神は資本主義の発展にも影響した。

さらに深く

【思想の形成】

マルティン・ルター(1483〜1546)は、ザクセンの鉱山業者ハンス・ルターの長男としてアイスレーベンに生まれた。エアフルト大学で法学を志したが、1505年7月、雷雨の野原で死の恐怖に襲われ、鉱山夫の守護聖人アンナに「修道士になる」と誓願したという劇的な回心を経て、アウグスティヌス隠修士会に入った。ヴィッテンベルク大学で聖書学博士となり、教授として詩篇、ローマ書、ガラテヤ書を講じる過程で、「神の義」は人間の行為ではなく信仰への恵みによって与えられるという「塔の体験」に至った。1517年に免罪符商テツェルの活動を批判した九十五カ条は、印刷術によって数週間で全ドイツに拡散し、教皇庁との決裂、ヴォルムス帝国議会での「我ここに立つ」の宣言、ヴァルトブルク城での新約聖書独訳へと連なった。

【思想的意義】

三つの「のみ」、すなわち「信仰のみ(ソラ・フィデ)」「聖書のみ(ソラ・スクリプトゥーラ)」「恵みのみ(ソラ・グラティア)」が神学的核である。救済は教会の秘蹟体系や善行の蓄積ではなく、信仰のうちに無償で与えられる義認である。この命題は、ペラギウス論争以来のキリスト教神学史における反復的論点を、アウグスティヌスの恩寵論側に決定的に引き寄せた。万人祭司の教説は、聖職者と平信徒の階層的区分を解体し、近代市民的平等思想の遠い先駆となった。俗語への聖書翻訳は、読む主体を介する信仰という近代的宗教性の土台を据え、同時に近代ドイツ語の規範を形作った。

【影響と継承】

ツヴィングリ、カルヴァン、メランヒトンらとの神学論争を通じてプロテスタント諸派が分岐し、三十年戦争とウェストファリア条約の宗教的寛容体制へと繋がった。マックス・ヴェーバーはルター派の召命概念を資本主義精神の源泉と分析した。キルケゴール、ボンヘッファーの神学、ガダマー解釈学もルターの聖書読解の伝統に根をもつ。農民戦争に際しての容赦ない武力鎮圧支持や、晩年の反ユダヤ的文書は、ナチスに悪用された負の遺産として厳しい検証の対象となっている。

【さらに学ぶために】

徳善義和《とくぜんよしかず》マルティン・ルター:ことばに生きた改革者が伝記と思想の双方を手際よく示している。ヴァルトブルク城の一室とヴィッテンベルクの城教会の扉の写真資料に触れると、その歴史的現場が立体的に理解できる。

主な思想

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著作キリスト者の自由

信仰による自由と隣人愛を二命題で示したルター宗教改革三大文書の一つ

著作マルティン・ルター徳善義和

ルターの生涯と宗教改革を描く評伝

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