入門編 · 近代哲学の展開 · 第26章
科学革命と方法の問い
1543年、ポーランドの大聖堂参事会員が病床に届いた一冊の本を見つめていました。タイトルは『天球の回転について』。著者は本人、つまりコペルニクスです。死の数時間前にようやく印刷物が届いたこの本のなかで、彼はそれまで千数百年信じられてきた前提を反転させました。動いているのは天ではなく、私たちの足元の地球の方なのだ、と。この一冊から、世界の見方そのものが揺らぎ始めます。
天動説から地動説へ:世界像の転換
中世の宇宙観は、地球を中心に天球が同心円状に並び、最も外側を神の領域である至高天が囲む、というものでした。アリストテレスとプトレマイオスの体系を教会が公認し、聖書の記述とも整合的に説明されてきた世界です。コペルニクスは天文観測の不一致を整理するために計算上の便宜として地動説を提案したのですが、その含意は計算を超えて広がっていきました。
一世代後、ピサのガリレオが自作の望遠鏡を月に向け、表面のクレーターを描き、木星の周りを回る四つの衛星を発見します。「天は完全である」という古代以来の前提が望遠鏡のレンズの向こうで崩れていきました。1633年、彼は宗教裁判で地動説の撤回を強いられます。けれども裁判記録の余白に残る「それでも地球は動いている」という伝説は、観測と教義が衝突した時代の象徴になりました。
ベーコン:四つのイドラと帰納法
イングランドの大法官だったフランシス・ベーコンは、自然をめぐる新しい知識のためには、古いアリストテレスの論理学では足りないと考えました。『ノヴム・オルガヌム』のなかで彼は、人間の認識を曇らせる四つのイドラを列挙します。種族のイドラ、洞窟のイドラ、市場のイドラ、劇場のイドラ。人類共通の偏見、個人の習慣、ことばの罠、既成の学説への盲信。
イドラを払い落とすために、ベーコンは個別の観察を地道に積み上げ、そこから一般法則へと登っていく帰納法を提唱しました。「知は力なり」という有名な句は、自然を観察し、その隠れた仕組みを解明することで、人類の生活そのものが改善できるはずだ、という近代的な信念の宣言でもありました。経験論の源流が、ここから流れ始めます。
自然は数学の言葉で書かれている
ガリレオは「自然という大きな書物は数学の言葉で書かれている」と書きました。落体の運動を斜面の実験で測り、距離が時間の二乗に比例することを発見した彼にとって、自然の真理は数式のかたちをしていたのです。一世紀後、ケンブリッジの若きニュートンは、この方向を極限まで押し進めます。
1687年に出版された『プリンキピア』のなかで、ニュートンは三つの運動法則と万有引力の法則によって、リンゴが落ちることと月が地球を回ることを同じ式で説明してしまいました。地上と天上を支配する物理法則が一つだという結論は、世界の統一像を一気に書き換えます。これ以後、自然は神秘的な目的に向かって動くのではなく、数学的に記述可能な機械として理解されるようになりました。
あなたが何かを「科学的に正しい」と感じるとき、その確信を支えているのは観察でしょうか、計算でしょうか、それとも誰かの権威でしょうか。
科学的方法はどこから生まれたか
コペルニクス・ガリレオ・ニュートンの一世紀半は、世界像と方法の双方を作り変えました。観察と実験で仮説を立て、数学で定式化し、新しい観察で検証する。この一連の手順、いわゆる科学的方法は、自然発生したのではなく、ベーコンの帰納法、デカルトの解析幾何、ガリレオの実験という哲学的な格闘の産物です。次章では、この革命のただなかで「では、私自身の精神はどんな方法で確実な知識に至るのか」という問いに正面から取り組んだ一人の哲学者を訪ねます。
近代哲学の展開 · 第26章